" あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、
その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。"
出エジプト記 12章5~7節
モーセはファラオに最後通告をしましたが、ファラオの頑なさは変わることがありませんでした。
そこで主は、いよいよ出発のために準備すべきことをイスラエルの民に示されました。
それは家ごとに羊(あるいはやぎ)を用意するということでした。(3-5節)
またそれは「傷のない一歳の雄」でなければならない・・と。
そしてそれを主が指定した日に、一斉にこの羊を屠(ほふ)らなければならない・・と。
そしてその血を、それぞれの家の二本の門柱と鴨居に塗れ・・と。これが今日の箇所(5-7節)です。
そしてその夜、その肉を火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べ、残ったすべてのものは焼き尽くせ・・と。
出発前夜です。(8-10節)
そして主は最後のわざわいすなわち、エジプトの家のすべての長子は殺されるというわざわいを、鴨居に小羊の血が塗られている家には下さずに通り過ぎられた、すなわち過ぎ越されたというのです。(13節)
このことを記念して、ユダヤ教では今でも「過越(すぎこし)の祭」が行われています。そしてイエス様が十字架にかかられる前に弟子たちと共にしたあの最後の晩餐も、あれは「過越の祭りの食事」だったのです。
そしてそれは決して偶然の事ではなかったのです。
出エジプトという出来事は、神の圧倒的な御手のわざをもってイスラエルの民を奴隷という身分から救い出し、約束の地カナンへ導き出すという出来事です。
そしてここに、神が用意された本当の救いのみわざの「型」がある んですね。
本当の救いとはすなわち、父なる神が「その人の心に御子が十字架で流された血が刻まれている」のを見るなら、父はその人の罪に対する罰を過ぎ越され、おまけに罪の奴隷という身分からも解放し、約束の地すなわち天国に入る者としてくださるという、あの福音のことです。
それがこの出エジプトの出来事とぴったり重なるのです。
御子イエス・キリストこそが、神が私たちのために備えて下さった「傷のない小羊」なのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)