fc2ブログ
FC2Blog | RSS1.0 | ログイン | 投稿 

ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

" モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。
『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲(わし)の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。〜 」”
 出エジプト記 19章3~4節

 エジプトを出て三ヶ月目に入ったとき、民はシナイの荒野に入りました。
 イスラエルはそこで、山を前にして宿営したとあります。(1-2節)
 神である主はこのシナイ山において、イスラエルの民と約束を交わすのです。
 今日の箇所がまず、その初めです。

 モーセが神との交わりを持つためにひとりで山に入って行ったら、主が山から彼を呼んで言われたというのです。
 それは、神がこの民全体に語ることをモーセに託すためでした。

 まず神は民に、このように言われます。
 あなた方は見たでしょう、わたしがしたことを・・。
 それはエジプトのファラオに対する奇跡の連続、そして「あなた方を鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来た」のを・・と。

 鷲の翼に乗せて・・。
 それは地上を「歩く」のではなく、大空高く舞い上がり、一気に新しいところに連れて行くという意味です。
 しかし実際には、民は様々な試練に遭い、その信仰を試されながらここまで来ています。
 しかし振り返って見ると、それは「鷲の翼に乗せられてきた」としか言いようのない行程だったというわけです。

 これはまさに、私たちの信仰生活の型そのものです。
 私たちは様々な試練や壁に遭遇しながら、主に叫び、ふと気がつくと次の場所に立っている・・。
 いつもそうなんですね。

 私たちクリスチャンは、目の前がどのような状況に見えても、実は鷲の翼とも言える主の御力の守りのうちに、新しい地に向かって連れて行かれているのです。

 そのことをいつも「信仰の目」をもって、主に目を留めつつ歩んでいきたいものです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2023.10.31.Tue 09:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて彼が言ったとおりにした。
 モーセはイスラエル全体の中から力のある人たちを選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にかしらとして任じた。
 いつもは彼らが民をさばき、難しい事件はモーセのところに持って来たが、小さな事件はみな彼ら自身でさばいた。"
 出エジプト記 18章24~26節

 モーセのしゅうとの祭司イテロは、モーセが民のトラブルをさばくために丸一日を費やしてその対応をしている姿を見て、こんなことをしていては、あなたもあなたの民も疲れ果ててしまう・・とモーセに忠告します。(13-23節)
 それでイテロはある提案をし、モーセはその提案を受け入れた・・。それが今日の箇所です。

 多くのクリスチャンたちには、神のご用に用いていただきたいという思いがあります。
 しかしそれをいざやろうとしたとき、やることで一杯になってしまい、能力的にも体力的にもパンパンになって動きが取れなくなってしまうということがあります。

 主は私たちを用いられるとき、それはあなた一人だけを用いるのではなくて、そこに主にある兄弟姉妹という助け手を与えてくださるんですね。
 神はそのように人々を備え、用いられるのです。

 モーセは謙虚にイテロの忠告を受け入れました。
 このイテロは前の日に、モーセから出エジプトの経緯を聞き、そしてこの民を導いた神こそが真に礼拝すべき方であるということを認め、全焼のささげ物をささげたという、「主」に対する信仰に関して言えば、いわば駆け出しの信仰者だったわけです。
 モーセはそのイテロの言うことに耳を傾けたのです。

 神は私たちの周りに、そのように忠告してくれる器をも置かれるんですね。
 そしてその器は、つい先日洗礼をうけたばかりの人かもしれない・・。
 でもそのことばに謙虚に耳を傾ける・・。
 モーセはそのような姿勢を持つ人だったわけです。

 主にある働き・・、それはあなた一人でするものではないのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2023.10.30.Mon 12:06 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" イテロは言った。「 〜 今、私は、主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって。」"
 出エジプト記 18章10~11節

 イスラエルの民はレフィディムで宿営し、ホレブの岩から水が湧き出るという奇跡を見せられ、そして攻めてきたアマレクと戦うという、めまぐるしいとも言える時を過ごし、そこを出て「神の山」に宿営しました。(5節)

 神の山・・、それは他でもないモーセが燃える柴の中で主に語られたその山のことで、そこはモーセが身を寄せていたしゅうとであり祭司であったイテロの住んでいた地域でした。

 イテロはイスラエルの民がエジプトを出て、まさに近くまで来ていることを知り、先にモーセから送り返されてきた妻と二人の息子を連れて、モーセに会いにやってきたのです。

 モーセはイテロに直接、エジプトを出た経緯のすべてのこと、そしてその後の荒野の旅での出来事の話をして聞かせます。
 それに対してイテロが言った、というのが今日の箇所です。

 イテロは祭司であると言っても、イスラエルを導いたアブラハム、イサク、ヤコブの神をはっきりと主と認めて礼拝する祭司ではなかったようです。
 それがモーセから事の次第を聞いて、この主こそがまことの神であること・・あらゆる神々にまさって偉大であること・・を認めて、それを自分の口で告白したというわけです。
 
 この出エジプトの話・・。それをただの逸話だとするのか、あるいは、本当にそのことがあったのだと受け取るのか・・。

 このイテロのように、この出エジプトの話を聞いて、この方こそまことの神であると口で告白する者は、この出エジプトを通してご自身を表された主と共に歩む者とされるんですね。

 この神を本当の神だと認めるのか認めないのか・・、それはこれからの歩みをまったく二分するものとなり、それは永遠にまで関わってくることなのだと言っているのが聖書なのです。

 この主を本当に神と認めるのか・・、私たちはそれをはっきりと心に定めるように促されているのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます) 
 
 
2023.10.30.Mon 12:05 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

180.jpg

今週の「たいむ」は・・

【向き合うことのできる神】・・です。

https://m.youtube.com/watch?v=HW7IkWJ9Sh8&pp=ygUSZ3JhY2VjYWZl44Gf44GE44KA

God Bless You !

2023.10.28.Sat 12:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" イテロは言った。「 〜 今、私は、主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって。」"
 出エジプト記 18章10~11節

 イスラエルの民はレフィディムで宿営し、ホレブの岩から水が湧き出るという奇跡を見せられ、そして攻めてきたアマレクと戦うという、めまぐるしいとも言える時を過ごし、そこを出て「神の山」に宿営しました。(5節)

 神の山・・、それは他でもないモーセが燃える柴の中で主に語られたその山のことで、そこはモーセが身を寄せていたしゅうとであり祭司であったイテロの住んでいた地域でした。

 イテロはイスラエルの民がエジプトを出て、まさに近くまで来ていることを知り、先にモーセから送り返されてきた妻と二人の息子を連れて、モーセに会いにやってきたのです。

 モーセはイテロに直接、エジプトを出た経緯のすべてのこと、そしてその後の荒野の旅での出来事の話をして聞かせます。
 それに対してイテロが言った、というのが今日の箇所です。

 イテロは祭司であると言っても、イスラエルを導いたアブラハム、イサク、ヤコブの神をはっきりと主と認めて礼拝する祭司ではなかったようです。
 それがモーセから事の次第を聞いて、この主こそがまことの神であること・・あらゆる神々にまさって偉大であること・・を認めて、それを自分の口で告白したというわけです。
 
 この出エジプトの話・・。それをただの逸話だとするのか、あるいは、本当にそのことがあったのだと受け取るのか・・。

 このイテロのように、この出エジプトの話を聞いて、この方こそまことの神であると口で告白する者は、この出エジプトを通してご自身を表された主と共に歩む者とされるんですね。

 この神を本当の神だと認めるのか認めないのか・・、それはこれからの歩みをまったく二分するものとなり、それは永遠にまで関わってくることなのだと言っているのが聖書なのです。

 この主を本当に神と認めるのか・・、私たちはそれをはっきりと心に定めるように促されているのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます) 
 
 
2023.10.27.Fri 12:54 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。
 主はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」"
 出エジプト記 17章13~14節

 ヨシュアは、アマレクを撃退しました。
 しかしアマレクはこの時点で、完全に消滅したわけではありませんでした。
 そしてこのときから約二年、約束の地に偵察に出たイスラエルの目の前に立ちはだかったのもこのアマレクでした。
 イスラエルの民は恐れ、この地に攻め上れという主のことばに逆らったことで、この旅は四十年もの長い期間に引き延ばされてしまいます。
 そして四十年経ってこの民を率いてカナンの地に入っていったのが、このヨシュアです。
 そしてこのときにも、一番の勢力を誇っていたのは、このアマレクでした。
 ですから主は、この記録をヨシュアに読んで聞かせよ・・と言われたのではないでしょうか。

 ヨシュア率いるイスラエルはカナンの地に入ってそこを占領するわけですが、それでもまだアマレクは滅ぼし尽くされませんでした。
 そしてさらに百年、カナンの地にてアマレクとの戦いは続き、結局このアマレクを徹底的に屈服させたのは、ダビデ王でした。
 このとき初めて、主が言われた「アマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」というこのことばは実現したのです。

 イエス様の弟子たちは、イエス様が天に上った後、再び来られるのを今か今かと待っていました。
 ところがこのイエス様が再び来られるという約束も、そのときからすでに二千年という年月が流れてしまいました。
 しかし聖書には、イエス・キリストが再び来られることが明確に、しかも数え切れないほどの箇所で語られています。

 ですから私たちも、この主の約束を忘れてはいけないのです。

 私たちは「主の再臨の日」は近いという思いをもって、今日を過ごすべきなのです。

 主が約束されたことは必ず実現するのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2023.10.26.Thu 12:41 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。
 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。"
 出エジプト記 17章11~12節

 アマレクとの戦いの最中、モーセとアロンとフルは、戦況が一望できる丘の頂に登り、モーセは主に向かって手を高く上げていました。
 そして今日の箇所・・、モーセが手を高く上げている間はイスラエルは優勢になり、疲れて手を下ろすとアマレクが優勢になったというのです。

 それでアロンとフルはモーセを石の上に座らせ、二人がそれぞれモーセの腕を、日が沈むまで支え続けました。
 そうしたら、ヨシュアが率いるイスラエルの軍団はアマレクとその民を打ち破ったというのです。

 モーセが主に向かって手を上げている間・・、それはすなわちモーセが主に心を向けている間ということです。
 モーセが主に目を向けている間は、主はそこに御力を表されました。
 しかしモーセが手を下ろす・・、すなわち主から目を逸らすと、敵の力が優勢になったというのです。

 私たちは信仰生活の中で、主が働かれるのを体験することがあります。
 しかしそれは、私たちが自分の目をはっきりと主に向けているときなんですね。

 あの湖の上を歩いたペテロもそうでした。
 ペテロは水の上に立っておられるイエス様を見て、イエス様が「来なさい」と言われたのだからという信仰だけで、水の上に足を踏み出しました。
 そうしたら、なんとペテロは水の上を歩けたのです。
 しかし、そこに吹いている強風に目をやったとたんにその風が恐ろしくなり、今まで水の上を歩いていたはずが、急に沈み始めたのです。
 もちろんイエス様は、そんなペテロを助けてくださいました。
 しかしその時のイエス様のことばは、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」でした。(マタイ14:22-33)

 私たちは、どんな状況にあるときでも、主を疑ってはならないのです。

 崖っぷちに立ったとき・・、そのときこそが信仰を働かせ、主に目を留め続けるときなのです。

 そしてそれが、私たちが主の御力を拝するときとなるのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2023.10.25.Wed 08:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。"
 出エジプト記 17章8~10節

 ホレブの岩から水を得た民は、その場所で自分たちに攻撃を仕掛けてくる勢力に出会います。
 アマレク・・それはこの地域に出没した一大勢力を持つ遊牧民族です。
 水を得て安堵したと思ったら、今度は外敵が攻めてくる・・。
 これも約束の地への歩み、すなわち信仰生活の「型」なのかもしれませんね。

 このときモーセは、ヨシュアというひとりの人物を選びました。
 このヨシュアはあのエジプトに於いて王に次ぐ権力者となったヨセフの子、エフライムの族長の子孫です。
 このヨシュアこそが、後にモーセの役割を引き継いでイスラエルの民を約束の地カナンに導いた人物です。
 しかも、新約聖書に記されているこのヨシュアという名の原語は「イエス」なんですね。
 イエス・・それは一般的な人名であると同時に、「主は救い」という意味の名でもあります。

 ですからこのヨシュアこそが、私たちを約束の地、天の御国に導き入れてくださるイエス・キリストの型であるということがわかります。
 そしてこのヨシュアは、約束の地に入る40年も前から、いやそれ以前から、しっかりと選ばれていたんですね。

 このことを知るとき、実は私たちクリスチャンのひとりひとりのことも、主は私たちが神を思う遙か以前からご存じで、そして後に起こるすべてのことも、主はすでに見ておられるということを思わされます。

 この主の御目の内に、今日も、今も、私たちは生かされているのです。

 この主と一つ思いで歩む・・それこそが最強の道なんですね。

 
 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2023.10.24.Tue 11:37 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。"
 出エジプト記 17章7節

 水がなくて民の不平が募(つの)り、モーセは石で打ち殺されそうになりました。それでモーセは主に助けを叫び求めます。(4節)
 その時主はモーセに言われました。
 あの杖をもって長老たちを連れてホレブに行き、そこで彼らの目の前でホレブの岩を打て、そうすればとその岩から水が出て、民はそれを飲むから・・と。(5-6節)
 そしてモーセはその通りにして、民は再び主の奇跡を見るのことになるのです。

 主がモーセに連れて行くように命じた長老たち・・それは不平に満ちた民を治める立場の族長たちです。
 彼らは言ってみれば、モーセと民の間で板挟みのようになっていた人たちです。彼らはその信仰が揺らいでいたに違いありません。
 そうでなければ、この族長たちが民の怒りを収めたはずですから・・。
 その族長たちがモーセに声をかけられ、ホレブの岩のあるところまで行って、その奇跡を目の当たりにしたというわけです。

 モーセはホレブの岩のあるこの場所をマサ、またメリバと名付けた・・。それが今日の箇所です。
 マサは「試み」、メリバは「争い」という意味です。

 このような大きな恵みをいただくとき、民にとっていつもそれは試練のときであり、そこには争いがありました。
 そしてそれは、これから後の民の旅路の間でも、ずっと見られたことでした。

 前回と同じことですが、この旅路においては、主への信頼、すなわち信仰が欠かせない条件なんですね。
 それも、個人個人の信仰です。
 そして今回、それを最初に教えられたのが長老、すなわち部族を率いる族長たちだったというわけです。

 教会においても、その指導者に求められるもの・・これもやはり「信仰」なんですね。

 教会の人々が、指導者の信仰が守られ、強められるように日々祈るなら、教会は力強く成長していくのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2023.10.23.Mon 11:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 民はそこで水に渇いた。それで民はモーセに不平を言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。」
 そこで、モーセは主に叫んで言った。「私はこの民をどうすればよいのでしょう。今にも、彼らは私を石で打ち殺そうとしています。」"
 出エジプト記 17章3~4節

 前回の続きです。
 レフィディムに宿営した民は、そこに飲み水がないことでモーセに不平を言った・・とあります。
 それは不平というレベルを超えた、怒りに満ちた罵倒のようなものだったのではないでしょうか。
 モーセは主に向かって「彼らは私を石で打ち殺そうとしています」と言っています。

 荒野の旅、それは私たちの信仰生活を象徴するものですが、その旅というのは文字通り「荒野の旅」すなわち「主による試みの連続の旅」であるようです。
 窮地に追い込まれたとき、そこで主に叫んで助けを求めるのか、主を呪うのかの連続・・。
 しかし忍耐の主はその都度、ご自身が救いの力であることを示される・・。
 これが私たちが歩まされる「旅」のバターンなんですね。

 どうして主は、私たちをそのように何度も試みなければいけないのでしょうか。
 それは、私たちが大きな奇跡を何度見せられても、結局本当に主を信頼して自分の身を預け、状況に関わらず安心するというところまでに、信仰が成長しないからなのではないでしょうか。

 主はあなたに「わたしが神だ。ほかにはいない。」と言おうとしておられるのです。

 人々を導く者が、導かれる側の人々の怒りの砲撃を浴びる・・。
 旅が試みの連続なら、それはありがちなことなのかもしれません。

 ここで両者をつなぐものは、一つしかないことがよくわかります。
 それは主に対する信頼・・すなわち信仰です。

 旅をする人々・・、それは教会を象徴します。
 そしてそこにいる人々の主に対する信仰こそが、教会を強固な「主の軍団」とするのです。

 教会は主に対する信仰によって、一つとなれるのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2023.10.23.Mon 11:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
http://i-produce.net
http://twitter.com/ichiharayasushi
<< 2023.10 >>
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ENTRIES
GraceCafeたいむ #200【完了した】(04/20)
G-Cafe 聖書のことば #1155【忍耐の神】 民数記17(04/19)
G-Cafe 聖書のことば #1154【信仰を選び取る】 民数記16(04/19)
G-Cafe 聖書のことば #1154【信仰を選び取る】 民数記16(04/18)
G-Cafe 聖書のことば #1153【やり残していることはないか】 民数記15(04/17)
G-Cafe 聖書のことば #1152 【私たちの本番】 民数記14(04/16)
G-Cafe 聖書のことば #1151 【学ばない民】 民数記13(04/15)
GraceCafeたいむ #199【主の赦しは変わらない】(04/13)
G-Cafe 聖書のことば #1150 【「信仰」を選ぶ】 民数記12(04/12)
G-Cafe 聖書のことば #1149【一旦考える】 民数記11(04/11)
G-Cafe 聖書のことば #1148 【恵みは主から】 民数記10(04/10)
G-Cafe 聖書のことば #1147【必要なこと】 民数記9(04/09)
G-Cafe 聖書のことば #1146【信仰を守り通す】 民数記8(04/08)
GraceCafeたいむ #198【心を開く相手】(04/06)
G-Cafe 聖書のことば #1145【私たちの一致】 民数記7(04/05)
G-Cafe 聖書のことば #1144 【主の手は短い?】 民数記6(04/04)
G-Cafe 聖書のことば #1143 【主よ、信仰を与えてください】 民数記5(04/03)
G-Cafe 聖書のことば #1142 【主が見えなくなった時】 民数記4(04/02)
G-Cafe 聖書のことば #1141 【雲に従う】 民数記3(04/01)
G-Cafe 聖書のことば #1140【神のご計画】 民数記2(04/01)
GraceCafeたいむ #197【心を開いて】(03/30)
G-Cafe 聖書のことば #1139【旅への備え】 民数記1(03/29)
G-Cafe 聖書のことば #1138 【生ける主を見る】 レビ記 22(03/27)
G-Cafe 聖書のことば #1137【祝福とのろい】 レビ記 21(03/26)
G-Cafe 聖書のことば #1136【ヨベルの年】 レビ記 20(03/25)
G-Cafe 聖書のことば #1135 【目には目を】 レビ記 19(03/25)
GraceCafeたいむ #196【目的地がある】(03/23)
G-Cafe 聖書のことば #1135 【目には目を】 レビ記 19(03/22)
G-Cafe 聖書のことば #1134【主を恐れる】 レビ記 18(03/21)
G-Cafe 聖書のことば #1133 【聖めの道】 レビ記 17(03/20)
G-Cafe 聖書のことば #1132【主が聖であることを示す】 レビ記 16(03/19)
G-Cafe 聖書のことば #1131【塩気を保つ】 レビ記 15(03/18)
GraceCafeたいむ #195【キリストがすべて】(03/16)
GraceCafeたいむ #194【罪からの解放】(03/16)
G-Cafe 聖書のことば #1130 【正しい秤】 レビ記 14(03/15)
G-Cafe 聖書のことば #1129 【あわれみの神】 レビ記 13(03/14)
G-Cafe 聖書のことば #1128 【主との関係】 レビ記 12(03/13)
G-Cafe 聖書のことば #1127 【毎年の宥(なだ)め】 レビ記 11(03/12)
G-Cafe 聖書のことば #1126【聖なる主】 レビ記 10(03/11)
G-Cafe 聖書のことば #1125 【主を恐れる】 レビ記 9(03/08)
G-Cafe 聖書のことば #1124 【神はまことに神】 レビ記 8(03/07)
G-Cafe 聖書のことば #1123【主との交わり】 レビ記 7(03/06)
G-Cafe 聖書のことば #1122【火を消さない】 レビ記 6(03/05)
G-Cafe 聖書のことば #1121 【当たり前の教え】 レビ記 5(03/04)
G-Cafe 聖書のことば #1120【罪の告白】 レビ記 4(03/04)
GraceCafeたいむ #193【確信を増す】(03/02)
G-Cafe 聖書のことば #1120【罪の告白】 レビ記 4(03/01)
G-Cafe 聖書のことば #1119【罪は赦される】 レビ記 3(02/29)
G-Cafe 聖書のことば #1118 【交わりのいけにえ】 レビ記 2(02/28)
G-Cafe 聖書のことば #1117【全焼のささげ物】 レビ記 1(02/27)
COMMENTS
CATEGORY
ARCHIVES
2024年04月(20)
2024年03月(27)
2024年02月(24)
2024年01月(17)
2023年12月(27)
2023年11月(29)
2023年10月(29)
2023年09月(29)
2023年08月(27)
2023年07月(28)
2023年06月(29)
2023年05月(24)
2023年04月(23)
2023年03月(23)
2023年02月(19)
2023年01月(22)
2022年12月(28)
2022年11月(27)
2022年10月(26)
2022年09月(24)
2022年08月(27)
2022年07月(24)
2022年06月(26)
2022年05月(26)
2022年04月(25)
2022年03月(28)
2022年02月(24)
2022年01月(27)
2021年12月(27)
2021年11月(26)
2021年10月(27)
2021年09月(26)
2021年08月(26)
2021年07月(27)
2021年06月(26)
2021年05月(26)
2021年04月(28)
2021年03月(26)
2021年02月(24)
2021年01月(25)
2020年12月(27)
2020年11月(24)
2020年10月(27)
2020年09月(26)
2020年08月(26)
2020年07月(27)
2020年06月(26)
2020年05月(27)
2020年04月(27)
2020年03月(28)
2020年02月(26)
2020年01月(25)
2019年12月(30)
2019年11月(21)
2019年10月(2)
2019年08月(3)
2019年06月(2)
2019年05月(1)
2019年04月(2)
2019年02月(1)
2019年01月(2)
2018年12月(1)
2018年10月(2)
2018年09月(3)
2018年08月(1)
2018年06月(1)
2018年04月(1)
2018年03月(1)
2018年02月(1)
2017年12月(1)
2017年11月(1)
2017年10月(1)
2017年08月(2)
2017年06月(1)
2017年05月(1)
2017年04月(2)
2017年02月(1)
2017年01月(2)
2016年12月(2)
2016年11月(2)
2016年09月(3)
2016年08月(1)
2016年07月(3)
2016年06月(1)
2016年05月(4)
2016年04月(2)
2016年03月(1)
2016年02月(1)
2016年01月(3)
2015年10月(1)
2015年09月(2)
2015年07月(1)
2015年05月(1)
2015年04月(1)
2015年03月(2)
2015年02月(1)
2015年01月(3)
2014年11月(3)
2014年09月(2)
2014年08月(2)
2014年07月(1)
2014年05月(1)
2014年04月(1)
2014年03月(3)
2014年02月(1)
2014年01月(4)
2013年12月(1)
2013年11月(1)
2013年09月(1)
2013年08月(4)
2013年06月(2)
2013年05月(2)
2013年03月(3)
2013年02月(2)
2013年01月(2)
2012年12月(1)
2012年11月(1)
2012年10月(1)
2012年09月(1)
2012年08月(1)
2012年07月(2)
2012年06月(3)
2012年05月(1)
2012年04月(2)
2012年03月(3)
2012年02月(1)
2012年01月(2)
2011年11月(8)
2011年10月(3)
2011年09月(1)
2011年08月(3)
2011年07月(1)
2011年06月(3)
2011年05月(1)
2011年04月(16)
2011年03月(4)
2011年02月(1)
2011年01月(2)
2010年12月(1)
2010年11月(3)
2010年10月(2)
2010年09月(2)
2010年08月(2)
2010年07月(2)
2010年06月(2)
2010年05月(4)
2010年04月(8)
2010年03月(6)
2010年02月(9)
2010年01月(5)
2009年12月(8)
2009年11月(15)
2009年10月(5)
2009年09月(7)
2009年08月(18)
2009年07月(11)
TRACKBACKS
LINKS