" 主はモーセに言われた。「あなたは民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、自分たちの衣服を洗わせよ。
彼らに三日目のために準備させよ。三日目に、主が民全体の目の前でシナイ山に降りて行くからである。
あなたは民のために周囲に境を設けて言え。『山に登り、その境界に触れないように注意せよ。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。
その人に手を触れてはならない。その人は必ず石で打ち殺されるか、矢で殺されなければならない。獣でも人でも、生かしておいてはならない。』雄羊の角が長く鳴り響くときは、彼らは山に登ることができる。」"
出エジプト記 19章10~13節
主は、いよいよシナイ山に降臨されることをモーセに告げます。
彼らを聖別し・・。
人が神の前に出るのに、清くない姿で出て行ってはならない。
自らの衣服を洗い、そしてその前に三日間をかけて備えをせよ。
そして山に近づく時には、モーセが設けた境界に触れることがないようにしなければならない・・。
そこに触れる者は必ず殺される・・。
ただし「雄羊の角が長く鳴り響いたとき」だけ、山に入ることができる・・。
主なる神は、私たちが気楽に出て行って会うことなど、到底できる存在ではないんですね。
私たちは、神の前に出るにはあまりにも汚(けが)れているのです。
私たちは聖日に教会に行き、神を礼拝します。
その私たちも、このシナイ山に臨まれた神と、同じ神を礼拝しているのです。
私たちは汚れたままで、神の前に出ることはできないんです。
でも私たちには、神の前に完全なる「身分証明書」があるんですね。
それは私たちの主イエス・キリストが、私たちのすべての罪を負って下さったという、主が自ら与えてくださった保証です。
その主を身に帯びて、私たちは神の前に完全に清い者として出ることができるのです。
このように私たちは、ただ主イエス・キリストによるという、全くの「恵み」によって、主を礼拝する者とされているのです。
礼拝する時には、この主イエス・キリストを明確に覚えて礼拝しましょう。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)