" モーセは山から民のところに下りて行って、民を聖別した。彼らは自分たちの衣服を洗った。
モーセは民に言った。「三日目のために準備をしなさい。女に近づいてはならない。」"
出エジプト記 19章14~15節
少し前に戻ります。
彼らは自分の衣服を洗った・・。それは民が主の前に出る前に、主がせよと命じられたことでした。(10節)
そして、この準備の期間、女に近付いてはならないと、モーセは民(男たち)に命じました。
衣服を洗う・・、それは普段のままではなくて、「礼服」をもって主の前に出るということです。
マタイの福音書22章12-13節には、婚礼の場に礼服を着ないで入ってきた男の話が出てきます。
その男は、婚礼に招いた王に「なぜ婚礼の礼服を着ないで入ってきたのか」と問われても、何も答えませんでした。
それで王はその男を縛って外に放り出すように命じます。
礼服を着る・・それは、神にまみえるというしっかりした姿勢をもってそこに臨むということです。
そしてモーセは民に、この三日間、女に近付いてはならないと命じました。
それは、主の前に出るときには、この世の楽しみから自分の心を聖別し、神の前に出るということに集中せよということです。
私たちが神の前に出るとき、すなわち聖日に神に礼拝をささげるのは、日常生活の中のついでの話ではないのです。
私たちはあくまでも、ふさわしくもない者がただ恵みによって、神の前に出る者とされた者です。
ならば今度は、私たちがそれに応える形で神の前に出て行く・・、それは人として当然のことなのではないでしょうか。
「霊とまことをもって神を礼拝する」(ヨハネ4:23) ・・、このみことばについて、もう一度深く考えてみたいものです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)