" 主は彼に言われた。「下りて行け。そして、あなた自身はアロンと一緒に上れ。しかし、祭司たちと民は、主のところに上ろうとして押し破ってはならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」
そこでモーセは民のところに下りて行き、彼らに告げた。"
出エジプト記 19章24~25節
このあとモーセとアロンは主の山に登り、あの「十戒」を受けるのです。
そして他の会衆はたとえ祭司であろうと、モーセが作った境(さかい)を越えて山に入ることは許されませんでした。
イスラエルの民は、直接神に近付き、神からことばをいただいたりするということは、許されなかったわけです。
モーセとアロン以外の者が境を越えて神に近づくならば、神は怒られるというのです。
それは神の絶対的な「神聖」に、人々はもともと近付くことさえ許されない者であるということを示すものです。
モーセとアロンは、その民と神との間を取り持つ者として特別に選ばれた者であったというわけです。
十戒とは、人々が神と共に歩むための言わば条件です。
しかしイスラエルは、この神との約束を守ることができませんでした。
神である主は、人はそのような契約を自分の力で守ることなどできないということを、1500年という長い歳月をかけて、この民に、そして世界中の人々に示して見せられたんですね。
そして今の私たち・・クリスチャンは、イエス・キリストが成し遂げて下さった贖いのみわざ、すなわち十字架における罪の赦しと、そのあとに見せてくださったよみがえりのキリストを信じる「信仰によって」、私たちは神と共に歩む者とされるという、今まで人の力ではできなかったことを、神の側から用意された新しい方法によってそれを実現させてくださったのです。
人はこの方法によってしか、神との関係を回復する手立てはどこにもないのです。
さらに私たちクリスチャンは、なんの境もなしに、直接神のもとに行き、神から語りかけられ、また語ることのできる者とされたのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)