" あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。"
出エジプト記 20章7節
私たちクリスチャンは、普段から「主よ、主よ」と、場合によっては一日中主の御名を呼び求めることがあります。
それはいけないことなのでしょうか。
しかしこの第三戒をよく見ると、「みだりに」と書いてあります。
みだりにというのが、本当にまことの神である主に向かってと言うよりも、生活の中でやたらと「神」ということばを使うという意味なのだとしたら、それはこの日本でも最近耳につくことがあります。
あの人は神だ・・というようなことばが、最近では日常的なことばとして使われています。
神対応とかいうことばにも私は抵抗を覚えます。
ヤクルトの村上選手を村神様と言ったり・・。
あるいはもっと聖書的な世界に戻るなら、イスラエルの民が、神に選ばれたという選民意識をもって神の名をやたらと口にして、自分たちの優位性を示す・・というようなこともあります。
神の名・・それは神聖で、その前にひれ伏すべき名なんですね。
イスラエルの民がホレブの山に現れる神を迎えたときに、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった(19:16) ・・とある通りです。
一方イエス様は、わたしはもうあなた方をしもべとは呼ばず、友と呼びますと言われました。
それは私たちが、神である主のことをすべて聞いたからだとイエス様は言われたのです。(ヨハネ15:15)
だからと言って、私たちはこの主なる神様にため口をきくことのできるような存在ではないんですね。
ここでは、そこまで低いところまで降りてきてくださったイエス様のことを覚えるべきなのです。
イエス様が友と言われたからといって、イエス様と同列になるというような勘違いがあってはならないのです。
主の御名は、畏怖とか畏敬の念をもって呼ばれるべきまことの神の名なのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)