" 殺してはならない。"
出エジプト記 20章13節
神は殺してはならないと言われました。
ここに記されている「殺す」というヘブル語「ラーツァフ」には、血の報復による殺人や、個人的感情から来る暴力的行為による殺人のことを指しているそうで、そこには動物を殺すことや、戦争などでの殺人、また死刑という刑罰などの意味は含まれていないそうです。
現に出エジプトをしたイスラエルの民も、さっそく攻めてくるアマレクと戦うことになります。
そこで神はイスラエルに勝利を与えておられるのです。すなわちイスラエルの民は、アマレクの多くの民を殺したのです。
さらに、神はイスラエルの民が約束の地カナンに入るのに、そこにいる民をすべて滅ぼし尽くせと命じています。(申命記20:16)
話は逸れますが、このカナンの地にいた民は神が忌み嫌われることをし続けて、結局神の御手の中で滅ぼされてしまうという運命をたどるという、裏の意味がそこにはあります。
でもそこで必ず出てくるのが、神だったら殺す権利があるというのか・・という発想です。
神にはある・・というのが結論ですが、そのことを人々はなかなか受け入れられないようです。
しかし人を生かすのも神であり、その齢をも決めるのも、この神なんですね。
私たちは、殺してはならないと言われる神に対して、あなたはそれをしているではないか・・とか言う立場にはないということは、しっかり覚えなければなりません。
では私たちは、この「殺してはならない」という第六戒を、どのように受け止めれば良いのでしょうか。
それは少なくとも、人が人に向き合うとき、そこに殺意があってはならないという受け止め方をするなら、わかりやすいかもしれません。
私たちは、殺意を自分の中に感じることがないとは言い切れません。
しかし神は、それはダメですと言われているわけです。
少なくともこの第五戒は、私たちそれぞれが「自分のこと」としてそれを心に刻めばよい、ということなのではないでしょうか。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように)