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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

" そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。各自腰に剣を帯びよ。宿営の中を入り口から入り口へ行き巡り、各自、自分の兄弟、自分の友、自分の隣人を殺せ。」
 レビ族はモーセのことばどおりに行った。その日、民のうちの約三千人が倒れた。"
 出エジプト記 32章27~28節

 まことの神から目を離して偶像を拝み、そこに自分の身を置き、神である主に対しての不信をあらわにする・・それは敵が喜ぶことであって、民はその敵の笑いものになっていた・・。これが前回見たところです。

 敵、すなわちサタンに取り込まれてしまうということは、どれほど恐ろしいことでしょうか。
 それはそのまま「いのちに関わること」なんですね。
 神のもとに帰った人を再び自分の陣営に引き戻すというのは、サタンの最初からのもくろみであって、その究極的な目的は、人を死に至らしめる、すなわち滅びに定められた人をそのままそこに閉じ込めて、自分が行くべき永遠の苦しみの中に、ともに引きずり込むということなのです。

 もし民がそのような状態に陥ったのなら、徹底的にその膿(うみ)を絞り出し、いのちの保全を図(はか)る必要があったというわけです。

 モーセが、モーセに付く者を集めたら、レビ族が集まってきました。
 そしてモーセは彼らに命じました。(26節)
 各自、自分の兄弟、自分の友、自分の隣人を殺せ・・と。

 私たちには余りにむごい話に聞こえますが、それが民のいのちに関わることだとしたら断腸の思いでそれをするしかない・・。
 壊死した足を切断して、いのちを保つというようなイメージでしょうか。

 それは私たちの内側の問題にも照らして見ることができます。
 私たちは、何気なく敵を侮らせていることって、日常的にあるんですね。
 しかしそれは、自分の身を裂くほどにして、徹底的にそこから離れなければならない事だということを、私たちは肝に銘じなければならないのです。
 でもそれは、クリスチャンにのみできることで、本来人はそんなことはできるものではありません。

 私たち(クリスチャン)は御霊によって、敵を侮らせるような行いや思考を徹底的に排除して、心の内から追い出して、撲滅してしまわなければならないのです。
 
 それは実に、いのちの問題、すなわち私たちが信仰によって与えられた永遠のいのちに関わる問題なのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように)

 
2024.01.31.Wed 12:47 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" モーセは、民が乱れていて、アロンが彼らを放っておいたので、敵の笑いものとなっているのを見た。"
 出エジプト記 32章25節

 モーセが四十日の間、神のもとに登って、主の御言葉をいただいている間、民は待ちきれず、アロンに偶像を造るように迫りました。
 それに対し、アロンは彼らの言うことを受け入れ、彼らがなすままにし、おまけに彼らのやることに加担して、自ら偶像を造って、しかも・・それを傍観していたわけです。(17-24節)

 放っておいたとは、彼らを諫(いさ)めることをせず、民が神に立ち返る方向に導くこともしなかったということです。
 アロンの責任は大きいと言わざるを得ません。

 そしてモーセは、民が「敵の笑いものとなっているのを見た」というのです。

 敵とは何のことでしょうか。

 この民の周辺に住む民はいわば「敵」でしたが、その敵はこのことをまだ何も知らないはずです。
 ならば「敵」とは、神に敵対する勢力・・この神の民が滅びることを心底願う悪の軍団、すなわちサタンのことであると考えるのが妥当なのではないでしょうか。

 私たちは信仰生活において、神から私たちを引き離そうとする執拗(しつよう)な力に、常に悩まされています。
 しかし神はその執拗な力・・すなわちサタンから飛んでくることばの火矢をかわすために「信仰という盾」を私たちに与え、また逆にそのサタンを刺し貫く「みことばの剣」をも与えてくださっています。

 しかしそんな私たちが、この最強の父とそこにとどまるための神の武具をいただいているにもかかわらず、この父から離れ、他のものにより頼むのだとしたら、それはまさにサタンの思うつぼで、サテンは手をたたいて喜び、なんて馬鹿なことをしているの・・と、私たちは笑いものとなる・・というわけです。

 私たちの主はこの世に於いて、他の何ものをも圧倒的に制することのできる全能の主であって、私たちはこの主の最強軍団の一兵卒(いっぺいそつ)なのです。

 そのことをいつも忘れないようにし、敵の笑いものにならないようにしましょう。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2024.01.30.Tue 11:10 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 彼らは私に言いました。『われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から連れ上った、あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。』
 それで私は彼らに『だれでも金(きん)を持っている者は、それを取り外せ』と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」"
 出エジプト記 32章23~24節

 アロンの言い訳はさらに続きます。

 民がわれわれに先立っていく神を「造ってほしい」と言ってうるさいから・・、だから私は造ったのです・・と。
 私は民に迫られ、どうにもならなくなってその声に負けて造ってしまいました、とは言えなかったんですね。

 この民はすでに神からのみことばを受けとっていました。もちろんアロンも聞いていました。
 「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。あなたは自分のために偶像を造ってはならない。」 (20:3-4)
 
 アロンは神の声よりも民の声を選び取ったというわけです。
 そしてアロンは、さらに自分をごまかして言いました。
 民から金を徴収してそれを火に投げ入れたら、この子牛が出てきた、すなわち「勝手にできた」のです・・と。

 アロンはあくまでも自分のやったことが誤りであったことを認めなかったんですね。
 アロンはこの期(ご)に及んで自分を守ろうとしていたというわけです。

 忘れないでください。私たちは失敗を犯さないかというと、そうではなく、その失敗の都度、主の十字架の御許(みもと)でその罪の赦しをいただき、神との関係を保つことが許されている者なのです。

 要するに、そのつど悔い改めれば良いのです。
 私たちは、自分を守る必要はすでになくなっている者なのです。
 神の赦しは、今とそして未来のあなたの上に、確実なものとなっているのです。

 私たちは「悔い改めの達人」となれば良いのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます) 

 
2024.01.26.Fri 10:15 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" モーセはアロンに言った。「この民はあなたに何をしたのですか。あなたが彼らの上にこのような大きな罪をもたらすとは。」
 アロンは言った。「わが主よ、どうか怒りを燃やさないでください。あなた自身、この民が悪に染まっているのをよくご存じのはずです。"
 出エジプト記 32章21~22節

 たった四十日も待ちきれずに、最も神が忌み嫌われる偶像礼拝を始めてしまったその民の姿を見たモーセは、激しい怒りに燃え、神から与えられた二枚のさとしの板を地に投げ捨てて砕いてしまいました。(19節)

 モーセはアロンに「これはあなたの責任ですよ」と問い詰めます。
 アロンは言い訳のしようがないところでしどろもどろになり、それを民のせいにしようとして言いました。
 ・・あなた自身、この民が悪に染まっているのをよくご存じのはずです・・と。

 神である主は、神を心から信頼しようとしない民をエジプトから導き出され、そこからも忍耐をもって導かれ、彼らをここまで養って来られたのです。
 そしてこのような民に神の民としての歩みをはじめさせるために、十戒を告げ、モーセを山に登らせ、四十日という期間を費やして、この民が神である主を礼拝するための細かな規定、すなわち幕屋に関するすべてのこと、また祭司に関するすべてのことをモーセに託されたわけです。

 私たちに対する神の愛・・それは神に対してもともと不遜な私たちへの愛であって、そのどうしようもない「本質」を持つ私たちに対して、神は御子を送られ、そのような私たちの代わりに御子の十字架の死を私たちに与えることで、この問題の解決をしてくださったのです。

 私たちはこのことを忘れると、神が何か恐ろしい存在、あるいは自分を拘束する存在のように感じてしまう・・。
 そう思った途端に、その思考は「福音」から完全に逸れてしまうのです。

 アロンが民を導くための責任者であったように、私たちは自分の思いが自分を導くための責任者であり、その心の向く先によって、自分自身を祝福へも導くし、その反対へも導いてしまうのです。

 私たちはアロンのように言い訳をして「自分はこんな者なんだ」と言い訳しながら歩むのではなく、はっきり罪深い私たちを愛するこの神の愛を忘れずに歩み、その罪を帳消しにしてくださった御子ご自身に目を留めて歩んで行く時に、私たちは神の無限の祝福に与(あずか)る者とされるのです。

 
 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
  
2024.01.25.Thu 11:00 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして、手にしていたあの板を投げ捨て、それらを山のふもとで砕いた。
 それから、彼らが造った子牛を取って火で焼き、さらにそれを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの子らに飲ませた。"
 出エジプト記 32章19~20節

 モーセの手には、主の筆跡によって表裏にさとしのことばが書かれた二枚の板がありました。(15節)
 それは神との新しい歩みの出発のしるしでした。
 しかしそのモーセの目に入ったのは、金の子牛を前にして踊っている民の姿でした。

 モーセの怒りは燃え上がった・・。

 モーセは、民が心の支えにしようとしていたこの偶像を、民の前でこなごなにして見せました。

 民が頼りにしていたものをもぎ取る・・、それは民が大事にしていたものなのだから、それはやり過ぎではないか・・。
 これが今の私たちの、周りにいる人たちへの一般的な配慮です。

 しかしこれは、いのちの問題なのです。
 いくらその人が大切に思っていても、それがかえっていのちを損なうものだとしたら、それをそのまま見ているのだとしたら、それは愛の行為だと言えるでしょうか。

 私たちは、滅びから救い出されたことの意味を、今一度深く考えたいものです。
 私たちは本当に大切なことを、まだ理解していないのかも知れません。

 私たちは、滅ぶべき者であったのに、永遠のいのちの道を得たのです。

 それを他の人が受け取らないことへの悲しみが、あなたにはどれほどあるでしょうか。

 いま一度、神が与えてくださったこの大きな恵みについて、深く知る者とさせていただくよう、祈り求めようでありませんか。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように)
 
 
2024.01.24.Wed 10:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 主はまた、モーセに言われた。「わたしはこの民を見た。これは実に、うなじを固くする民だ。
 今は、わたしに任せよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がり、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とする。」"
 出エジプト記 32章9~10節

 モーセが神の契約の板を持って山から下りてくると、なんと待ちきれなくなった民はアロンと共に金の子牛を鋳造し、それを神だとして拝んでいました。
 それで神の怒りがこの民に向かって燃え上がります。

 民が絶ち滅ぼされ、そして残るモーセだけは大いなる国民となる・・?
 過去にそれと同じようなことがありました。
 それは「ノアの洪水」・・、神である主は堕落しきった民を御怒りをもって水で滅ぼし、ノアとその家族だけを救い、それが今の全世界の民となった・・。

 しかしモーセは主に嘆願して言ったというのです。
 主よ、そんなことをされたら、あなたがこの民を偉大な力と力強い御手をもってエジプトの地から導き出されたのは、ご自分の民を滅ぼすためだったのだと異国の者は言うでしょう。彼らにそんなことを言わせていいのですか・・と。また主がアブラハムに約束されたこと、すなわち選びの民に約束の地を永久に与えると言われたあの約束はどうなるのですか・・と。(11-13節)

 すると主は、その民に下すと言ったわざわいを思い直されたというのです。(14節)

 モーセは神の約束のことばを盾にとって、神の考えを変えさせたというわけです。

 私たちには、数え切れないほどの神の約束が、聖書のみことばを通して与えられています。
 そして私たちもこのモーセのように、この神の約束を盾にとって、神に向き合うことができるんですね。

 神の言質(げんち)・・あとで証拠となるような約束のことば・・すなわち神の約束のみことばを私たちは一杯貯めておくと、それが祈りの中で大きな力になるのだということを、ここでは教えているのではないでしょうか。

 主のみことばを心の内にいっぱい蓄えましょう。
 そして神と向き合って、思う存分に語り合う者とさせていただきましょう。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます) 
  
 
2024.01.23.Tue 10:23 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 主はモーセに言われた。「さあ、下りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまった。"
 出エジプト記 32章7~8節

 意気揚々と山を下りるモーセに、主はとても残念なことを告げられます。
 あなたの民は堕落してしまった・・。

 神である主がエジプトから導き上ったということは、民にとっては否定しようのない事実であったはずなのに、この民はあろうことか、自分で造った金の子牛が自分たちを導き上った神だ、と言ったというのです。(8節)

 これはまさしく、神である主に対する最大の侮辱です。
 当然のことながら、このあと主の怒りは燃え上がります。(10節)

 このことを私たち自身の信仰生活に照らして考えてみましょう。

 主が言われた「堕落」、それはまことの神以外のものを勝手に作り出し、それを信じようとすること・・ということになります。
 それは、偶像を作ってそれを拝むことであるわけですが、私たちクリスチャンは信仰を持ちながら神社仏閣に行って拝んだりすることはまずありません。
 しかし心の中で無意識のうちに偶像を作り出すということは、いくらでもあるような気がします。

 最も気が付きにくい「偶像」の代表、それは「自分の思い」なのではないでしょうか。
 私たちには神のみことばによって、神の御心がすでに心に刻まれているのです。
 しかしそんな私たちはそれを横に置いて、自分の判断で物事を決定して歩んで行こうとする・・。
 それは自分の思考を偶像、すなわち最も頼るべきものとするという行為であるわけです。
 これが私たちにとって実に見えにくい「偶像礼拝」なんですね。

 前回も書きましたが、一つ一つのことを「自分の思い」に聞き従うのではなく、主のことばに聞きながら歩む・・、そのことこそが、偶像礼拝から私たちを守ってくれるのです。 

 みことばには、私たちを矯正し、主の怒りを受ける者ではなく、主に喜ばれる者として歩ませる力があるのです。(2テモテ3:16参照) 


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2024.01.19.Fri 11:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" それでアロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪を外して、私のところに持って来なさい。」"
 出エジプト記 32章2節

 民はモーセが四十日も帰ってこないので、人々がアロンに、「別の神々を造ってくれ」と言ったことに対するアロンの答え・・それが今日の箇所です。

 驚くべきことに、アロンは民の要求に応え、金の子牛の鋳物を作ったというのです。
 そして民は「これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたがたの神だ」と言った・・。
 そしてアロンは祭壇を築き、民はそれに全焼のささげ物をし「交わりのいけにえを供えた」というのです。(3-6節)

 偶像を作り、それにささげ物をし、交わりのいけにえを供えた・・ということは、霊的な解釈をするならば、神以外の霊、すなわち悪霊との交わりの合意をしたということになります。
 アロンがしたことは、考えられる限りの最悪のことでした。

 アロンに対する民の要求・・、それは霊的な解釈をするなら「悪魔の声」です。
 そして民のことば「これがあなた方をエジプトの地から導き上った神だ」・・、これも悪魔の声であり、悪魔の最大の得意技である「嘘」です。
 そしてこの悪魔の声は、人々すなわち「この世の常識の世界」から発せられたものであるわけです。

 アロンはモーセの留守の間、指導者としての務めを果たすべき者であったにもかかわらず、それにまんまと引っかかってしまったのです。

 私たちの日常生活においても、そのような悪魔の声は常に耳元でささやかれています。
 しかも私たちは、そのような声にうっかり聞き従ってしまったりするのです。
 そんなときに私たちがもし「神に聞く」という姿勢をもっているなら・・、そのような危ない領域に入ることはないのではないでしょうか。

 アロンが神である主に聞くという姿勢を持っていさえしたなら、十戒の最初のことばを思い出して、こんなことは簡単に回避できたはずなのです。
 
 神に聞く・・それは私たちに与えられているみことばに耳を傾けることです。

 みことばに思いをはせ、常に主のもとに立つ者は守られるのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2024.01.18.Thu 15:44 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

"民はモーセが山から一向に下りて来ようとしないのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き上った、あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。」"
 出エジプト記 32章1節

 四十日間、待てど暮らせど帰ってこないモーセにしびれを切らして、民がアロンに言ったことば・・それが今日の箇所です。
 四十日・・それは、あの大きな奇跡を伴い、エジプトから導き出された神に対してさえ、何の望みもなくなってしまうような「長期間」だったようです。

 モーセが山に登る前、神がモーセに告げた十戒・・、その初めで主は、わたし以外にほかの神があってはならない。偶像を造ってそれらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
 わたしは、わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す・・と言われているのです。(20章3-6節・・抜粋)

 しかし本当のところ、この民は「聞いたけど、信じてはいなかった」んですね。

 私たちはこの民が私たちの姿そのままを映し出す鏡であることを、今までもずっと見てきました。
 そして今回も、私たちはそのことをはっきりと心の奥で受け止める必要があるのではないでしょうか。

 神である主は、私たちを決して見放さず、見捨てないお方なのです。
 たとえ四十日間、うんともすんとも答えが返ってこず、神に見捨てられたと思うような事態にあっても・・なんですね。
 それはある時には十年だったり、あるいは四十年だったりするわけです・・。

 彼らは十戒が告げられた時、「主の言われたことはすべて行います」と言っているのです。(24:3)
 そのことばの軽さ・・それが自分の内にもあるということを、今しっかり思い起こし、悔い改め、心を新たにし、主への信仰を今一度明確にするべきなのではないでしょうか。

 主は今生きておられ、あなたと共におられるお方なのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2024.01.17.Wed 08:44 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えたとき、さとしの板を二枚、すなわち神の指で書き記された石の板をモーセにお授けになった。"
 出エジプト記 31章18節

 モーセが主の山に登る前、主は十戒とそれに伴う主の掟をモーセに告げられました。(20-23章)
 モーセはこれらのことばを書き記し、そのすべてのことを民に告げ、山のふもとに祭壇を築き、そこで全焼のささげ物をします。(24:3-5)
 そしてそのささげ物の血の半分は祭壇に振りかけられ、残りの半分は民に振りかけられるということを通して、民は主との契約の中に置かれました。(24:6-8)

 そしてモーセとアロンと、アロンの二人の息子と七十人の長老たちは山に登って行き、彼らはそこで「神ご自身を見、食べたり飲んだりした」とあります。(24:9-11)

 モーセが主のもとに登っていき、四十日四十夜そこにとどまることになったのは、このあとのことなんですね。(24:18)

 モーセは主の栄光の臨在のある雲の中での六日間じっと待ちます。
 そして七日目に主はモーセを呼ばれ、それから三十四日間、主はモーセに、礼拝に関するすべての細かい規定について語られるのです。
 その内容のすべてが25章から31章の17節まで、実に七章にわたって記され、そしてその最後の部分が今日の箇所です。

 25章から31章までを見るならば、これらの規定について、モーセがそれを理解しそれを頭にたたき込むのに、このくらいの時間は優にかかることは、想像に難くありません。

 実にモーセが神の山で過ごした四十日間というのは、イスラエルが神を礼拝する民として新しい出発をするための、そのすべての準備を整えるための期間だったということがわかります。

 要するにモーセが山で神から授かったのは、イスラエルの民が神である主を礼拝する民となるための、いわば完璧な設計図であったというわけです。
 こうして神の御名による新しい国家が誕生し、法令もすべて整い、新しい歩みが始まる・・。

 モーセは、神の指で書き記された石の板を持って、意気揚々と、晴れ晴れとした思いで民のもとに降りてゆくのですが・・、

 さあ、ジェットコースターに乗っているような、神の更なるみわざの始まりです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2024.01.16.Tue 10:46 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






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いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
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そしてキリスト教談義・・
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