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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています
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今週の「たいむ」は・・

【完了した】・・です。

https://m.youtube.com/watch?v=br_mR092SBg&pp=ygUSR3JhY2VDYWZl44Gf44GE44KA

God Bless You !
 
 
2024.04.20.Sat 10:53 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剝奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。」"
 民数記 14章12節

 前回の主のことば、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。」・・に続く主のことばです。

 主はイスラエルの民に「ゆずりの地を剥奪する」と言われたのです。
 それはもう、約束の地カナンという希望の話は、この民にはなかったことにするということに他なりません。
 しかし主はモーセに対しては、「私はあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする」と言われました。
 ちょっと耳を疑う主のことばですが、モーセから新しい民族を起こし、今までの十二部族はもうリセットしてしまうということなのでしょうか。

 これは主がこの民を今まで忍耐してここまで導いてきたのに、もうわたしは諦めた・・ということに他なりません。

 神から見離される・・それは何と恐ろしいことでしょうか。
 民は、それほどに神の怒りを買うことをこれまでに繰り返してきたのです。

 私たちクリスチャンには、私たちがどんなに愚かな者であっても、それの欠けの部分を補ってくださる主イエス・キリストの十字架のあがないがあります。
 何度でも神に逆らい、不平を言う私たちを、決して見放さず見捨てない主が共にいてくださる・・。

 そんな私たちに対する主の心は、一体どのようなものなのでしょうか。

 それは他でもない、「忍耐」の一言に尽きます。

 父なる神は私たちを忍耐して赦し続け、御子イエス・キリストのゆえに私たちを天の御国に導かれるのです。

 私たちが誇れることは、何一つないのです。

 その「忍耐されている自分」というところに、改めて私たちは目を留める必要があるのかもしれません。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように)

 
2024.04.19.Fri 09:38 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。
 主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。"
 民数記 14章10~11節

 ヨシュアとカレブは会衆の目を主に向けさせ、会衆が信仰に立って、主に従っていくように促します。
 ところが会衆は(しかも「全会衆は」とあります) 二人を石で打ち殺そうと言い出したのです。

 民はこれ以上自分たちを「信仰の道」に歩ませようとする者を、激しく拒絶したわけです。

 主を信じて行ってみようよ・・というそのことばを・・。

 ヨシュアとカレブのことばは、希望のことばでした。
 主がおられ、その主は私たちを乳と蜜の流れる約束の地に、確実に導かれるのだから、その道をしっかり歩んで行こうではないか・・という。

 この希望のことばを拒むなら、彼らが行けるところはエジプトしかないのです。
 しかも彼らはそれを自ら選び取ろうとしたわけです。
 
 私たちが受けとった福音・・それはあくまでも希望のことばなのです。

 私たちが主を信じて歩み始めたその歩みが、どんなに辛いものであろうと、これが私たちが約束の地に行く唯一の道なのです。
 それを拒むなら、私たちはもとの奴隷、すなわち永遠の滅びに向かう者に戻ってしまうことになるのです。

 この民に求められていたものは「信仰」でした。
 ・・いつまでわたしを信じようとしないのか・・。(11節)

 主の約束を信じて、どのような暗闇の中にあっても主に目を留めて進み続ける・・これが私たちに与えられている確実な歩みなのです。

 全力を尽くして信仰を選び取り、進んでいきましょう。

 
 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2024.04.19.Fri 09:37 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。
 主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。"
 民数記 14章10~11節

 ヨシュアとカレブは会衆の目を主に向けさせ、会衆が信仰に立って、主に従っていくように促します。
 ところが会衆は(しかも「全会衆は」とあります) 二人を石で打ち殺そうと言い出したのです。

 民はこれ以上自分たちを「信仰の道」に歩ませようとする者を、激しく拒絶したわけです。

 主を信じて行ってみようよ・・というそのことばを・・。

 ヨシュアとカレブのことばは、希望のことばでした。
 主がおられ、その主は私たちを乳と蜜の流れる約束の地に、確実に導かれるのだから、その道をしっかり歩んで行こうではないか・・という。

 この希望のことばを拒むなら、彼らが行けるところはエジプトしかないのです。
 しかも彼らはその希望のない道を自ら選び取ろうとしたわけです。
 
 私たちが受けとった福音・・それはあくまでも希望のことばなのです。

 私たちが主を信じて歩み始めたその歩みが、どんなに辛いものであろうと、これが私たちが約束の地に行く唯一の道なのです。
 それを拒むなら、私たちはもとの奴隷、すなわち永遠の滅びに向かう者に戻ってしまうことになるのです。

 この民に求められていたものは「信仰」でした。
 ・・いつまでわたしを信じようとしないのか・・。(11節)

 主の約束を信じて、どのような暗闇の中にあっても主に目を留めて進み続ける・・これが私たちに与えられている確実な歩みなのです。

 全力を尽くして信仰を選び取り、進んでいきましょう。

 
 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2024.04.18.Thu 10:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。
 すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、
 イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
 もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。
 ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。"
 民数記 14章5~10節

 民が反乱とも言えるような勢いで反発してきたという、前回の話の続きです。

 モーセとアロンは会衆の集会全体の前でひれ伏した・・とあります。
 彼らは会衆の勢いに負けて、何を言うこともできず、ただ主の前にひれ伏しました。
 しかし、ヨシュアとカレブは違いました。
 彼らはまず会衆に語りかけ、会衆を説得しようとしたのです。

 私たちが神に従っていこうとする時、動かしがたい困難に直面したら、私たちはどうすれば良いのでしょうか。
 もちろん主を見上げ、主に導きを求めることが大切なことであるわけですが、しかしその前にまず、しなければならないことを残してはいないか、考えるべきなのではないでしょうか。

 ヨシュアとカレブは民の勢いにもひるまず、彼らに正面から話しかけ、彼らを説得しようとしました。また彼らの信仰を励まそうとしました。
 しかしその結果、事態はさらに悪い方向に動きます。
 会衆は彼らを殺そうと言い始めたのです。

 でもそのときになって初めて、主が登場されたのです。

 私たちは祈る前に、まずやらなければならないことをやり残してはいないでしょうか。

 私たちが行動するところに、神は臨まれるのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2024.04.17.Wed 10:16 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」"
 民数記 14章4節

 偵察隊の報告を聞いて絶望した民はモーセとアロンに対して、どうしてこんなところにわれわれを連れて来たのか・・と言って、不平の限りをふたりにぶつけます。
 そして最後に言ったのが今日の箇所です。

 さあ、われわれは〜エジプトに帰ろう・・。

 エジプトに帰ろうというそのことばは、過去に奴隷であった自分の状態の方が、今よりましだという意味に他なりません。

 このことを私たちに当てはめるならば、あの頃・・すなわち神を知らずに自由奔放に暮らしていた頃の方が、今の信仰生活がこんなに苦しいのなら、いっそのことすべてを捨てて、もういちど神なしで生きたほうがましだ・・ということになります。
 しかしそれは、今の自分がどこに向かっているのかということを、全く忘れてしまっている状態に他なりません。
 
 私たちには辛いことや苦しいことがあります。
 しかしその先には、不動の約束がある・・というのが、私たち信仰者が依って立つべきところなのです。

 神は、私たちに永遠のいのちと天の御国を与え、そこで神とともに王として納める者として私たちを定められたのです。

 私たちの本番はこの永遠の御国にあるのです。

 神はその御国の住民を集めるために御子を世に送り、その御子によってその民を選別して、そのメンバーにすることとしたのです。

 ところが、一旦その固い約束に入れられた者が、そんなもの要らないと言うなら、そこにはもう、神のあわれみを求める何物も、私たちには残されていないのです。

 私たちは、私たちに与えられているものが何なのかを、もっとはっきり認める必要があるのです。
 
 そうすれば自ずと、この世に於いてやることも言うことも変わってくるし、求めることも変わってくるのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように)

 
2024.04.16.Tue 10:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
 イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。
 なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」"
 民数記 14章1~4節

 死んでいたら良かったのに・・。
 いつか聞いたようなことば・・。それは出エジプト記16章3節。
 出エジプトを果たして、シナイ山に向かう途中、民は食糧が尽きたことに耐えきれなくなり、不平を言った・・しかし主は、このときからマナを毎日民に与えられました。
 そして今日の箇所・・それは偵察隊の悲観的な観測に対して、民が泣き叫び、モーセとアロンに不平を言ったそのことばです。
 そして実はもう一回、このあとに「死んでいたら良かったのに」と民が言ったという箇所があります。
 カナンの地に入る機会を失った民は、もう一度ツィンの荒野に入ります。
 ここでも民は、水がないことに不平を言い、この同じことばを繰り返します。
 何度同じパターンを繰り返し、何度同じように神の怒りを買ったら気が済むのでしょうか。
 神はそれまでずっと、民の必要は満たされてきているのです。

 学ばない民・・。

 私たちも信仰生活において、何か障害、困難、苦難があった時、それを悪い方の判断に決定づけてしまうこと・・少なくとも心の中にはそういう傾向があるのではないでしょうか。

 イエス様の声が聞こえてきそうです。

 ああ愚かな者たち。(ルカ24:25)

 私たちは、共にいてくださる主、イエス・キリストを「本当に信じること」が求められているのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2024.04.15.Mon 09:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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今週の「たいむ」は・・

【主の赦しは変わらない】・・です。

https://m.youtube.com/watch?v=c78PsFpQb0I&pp=ygUSZ3JhY2VjYWZl44Gf44GE44KA

God Bless You !
 
 
2024.04.13.Sat 10:50 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」
 しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」"
 民数記 13章30~31節

 さて、いよいよ約束の地に入ろうというところまで民は導かれてきました。
 この13章は、この約束の地に偵察隊を出せという主の命令を受け、40日かけて偵察した後、彼らが帰って来てその報告をする・・という箇所です。

 偵察隊は十二人の族長たちでした。
 彼らが入っていったのはヘブロンまでで、それはカナンの地の、結構奥まで行ったところです。

 彼らの報告はこうでした。
 確かにこの地は乳と蜜が流れる豊かな地。しかしそこに住む者は力が強く、そこにはあの大きく強いアナク人もいた。また町々には城壁があり非常に大きい。だから絶対無理・・と。(27-29節)

 それに対して族長たちのひとり、カレブは「必ず打ち勝つことが出来るから行こう」と民を励まします。

 しかし民は、カレブとヨシュア以外の十人の話の方を受けとり、泣き叫びます。(14章1節)

 実はこれと同じことが、私たちの歩みの中にもあるのではないでしょうか。
 絶対無理・・。

 "しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。" (ヘブル10:39)

 神に従わずに恐れ退くなら、それは滅びの道だというのです。
 結局彼らの世代は恐れ退き、40年の荒野の旅で死に絶えることになるのです。

 私たちが保つのは自分のいのちだけではありません。家族のいのちも・・なのです。

 目を覚まし、主を見上げ、「主は私の光、私の救い。誰を私は恐れよう」 (詩篇27:1) と言って、大胆に主に従って進んで行こうではありませんか。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)

 
2024.04.12.Fri 08:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" そのとき、ミリアムとアロンは、モーセが妻としていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女を妻としていたからである。
 彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」 主はこれを聞かれた。"
 民数記 12章1~2節

 モーセの兄であるアロンと、姉であるミリアムの心の奥には、指導者としての地位はモーセだけのものなのか・・という思いがあり、それを口に出して言ってしまった・・それがこの12章の出来事です。

 主はこれを聞かれた・・。

 そこで主はモーセとアロンとミリアムに、会見の天幕の前に出るように言われます。(4節)

 神はミリアムの分を越えたことばに対して、怒りを燃え上がらせて去って行かれました。
 そして残されたミリアムは、重い皮膚病(ツァラアト)にかかっていたというのです。
 それでミリアムは、宿営の外に七日間閉め出されることになるのです。(10-16節)

 私たちは分を越えるということについては、よほど気をつけた方がいいかもしれません。

 分を越えるときには大体、それなりの理由があります。
 例えば、相手よりも自分の方が正しいと直感した時など・・、私たちはほぼ確実に分を越えた思いに立ってしまうのではないでしょうか。

 神は、モーセの姉という立場のミリアムにさえ、このような厳しいさばきをされたのです。

 思い上がる、高ぶる、さばき見る・・、それらは瞬時に襲ってくる魔物です。
 私たちは、そのような者であることに違いはありませんが、口からそういう言葉を出す前には、「一旦考える」というクッションを置くことができるといいかもしれませんね。

 その時、御霊は私たちをさとしてくださるのです。


 ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
 
 
2024.04.11.Thu 11:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
http://i-produce.net
http://twitter.com/ichiharayasushi
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