" 益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました。
ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。"
使徒の働き 20章20~21節
パウロの「遺言説教」の冒頭部分の後半です。
パウロは、ユダヤ人にもギリシア人にもすべての人にとって 「益になること」を、しかも「余すところなく」伝えたと言っています。
それは、神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰、その二つでした。
神に対する悔い改め・・その意味は、まことの神がおられることを信じるいうことです。
今まで信じていなかった・・そのことこそが悔い改めるべきことだというのです。
そういう意味で、私たちは神の前に罪人だと、聖書は言っています。
そしてそんな私たちに必要なことが「イエス・キリストに対する信仰」だというのです。
私たち罪人が神のもとに帰るために、神自らがしてくださったことがあります。
それは、御子キリストを私たちの罪のためにあがないとして十字架に付けられたということです。
私たちが神のもとに帰るための条件が、神の手によって整えられたのです。
その上で神は、私たちに一つのことを要求されました。
それは「そのことを信じる」ということです。
これが「主イエスに対する信仰」の意味です。
「悔い改め」と「主イエスに対する信仰」によって、人は神のもとに帰ることが出来る・・。
これがパウロが「余すところなく伝えた」、まさにそのことだったわけです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)