" ご覧なさい。私は今、御霊(みたま)に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。
ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。"
使徒の働き 20章22~23節
私たちは「大黒柱」を失ったら、立つ瀬を失い、何を信じて、何を基準にして生きていったら良いのか分からなくなってしまう・・それはなんとなく想像がつくことです。
大黒柱とは、精神的な支柱、価値観、あるいは家の主人、また財産・・、それは様々ですが、自覚はなくとも、人はこのような何かに拠り頼んで生きているんですね。
自分の才能、力、健康・・、それらも頼るもののひとつです。
しかし、これらはすべて「この世のもの」です。
それに対しクリスチャンは、絶対に裏切ることのない、死を超えて永遠に真実を尽くしてくださるお方、イエス・キリストを信じて新しい歩みを始めた者です。
そしてそれを常に示し、信じる者を具体的に導くのが御霊(みたま)=聖霊という存在です。
パウロは、この御霊から離れたら、自分は何もできないことを知っていました。
たとえ死が待ち受けていたにしても、そこにすべてがあることを知っていたのです。
神に仕える者の中には殉教の死を遂げた人が多くいます。
このことは「死」の意味が完全に塗り替えられたことを人々に示しているんですね。
死の力を打ち破られたイエス・キリストこそが、真により頼むべき「まことの大黒柱」なのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)