" あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。"
使徒の働き 20章28節
パウロのこの「遺言説教」は、監督(教会の指導者)たちを集めてされたものでした。
自分自身に気を配る・・それは自分が「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧する」のに、ふさわしいかどうかということを常に吟味せよということです。
神がご自分の血をもって買い取られたものが教会なら、それは完全に神のものだということです。
それはすなわち、教会とは神の御手によって成長させられるものだということでもあります。
教会を導き成長させるのは神、、具体的には聖霊なんですね。
結局指導者は「聖霊によって全てをしようとしているか」が問われている、ということになるわけです。
そして、群れの全体に気を配る・・それは群れの全体(教会)がキリストのからだとして健全であるかということに、常に心を配れということです。
それは、そこに愛があり、心からの礼拝があり、共にパンを裂く・・それはキリストのからだと流された血を覚えるということ・・、そして共に祈り合い、戒め合い、教え合い、主なる神を心から喜んでいるか・・、ということです。
群れが健全であるかを常に心に留め、その成長は聖霊にゆだねる・・これが教会の指導者のつとめだというわけです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)