" 数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。
しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。"
使徒の働き 24章24~25節
ユダヤの総督フェリクスは、パウロをある程度の自由を持たせた状態ではありましたが、拘束し続けました。
26節にはその理由として、「パウロから金をもらいたいという下心があった」と書かれていますが、そうだとしても彼らは、キリスト・イエスに対する信仰の話を聞こうとしたわけです。
ところがパウロが話し始めたのは「正義と節制と来たるべきさばきについて」でした。
フェリクスはその地方のユダヤの民に、ひどい圧政を敷いていた人物でした。
彼はパウロの、正義とかさばきということばを聞いて「恐ろしくなり」と記されています。
結局二人は、福音の肝心なところを聞かずに、パウロを追い返してしまったのです。
イエス様のあの十字架は、あなたの罪の身代わりにイエス様ご自身がその罪を負われたという、「いけにえのささげ物」なのです。
それは私たちに与えられた罪の赦しのしるしなのだ・・これが福音の核心です。
神は罪人に「赦しを与えられた」のです。
フェリクスが聞くべき事・・、それは「あなたの罪は赦されている」だったんですね。
しかしそれを聞いて信じなければ、神のもとに帰ることは出来ないのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)