" パウロが枯れ枝を一抱え集めて火にくべると、熱気のために一匹のまむしが這い出して来て、彼の手にかみついた。
島の人々は、この生き物がパウロの手にぶら下がっているのを見て、言い合った。「この人はきっと人殺しだ。海からは救われたが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ。」"
使徒の働き 28章3~4節
破船から泳いで陸地に上がった人々は、その島がマルタ島であることを知ります。
幸い島の人々はとても親切で、雨で冷え切っている人々のために、火をたいて迎えてくれました。
ところがパウロが枯れ枝を火にくべていたときに、まむしが出てきて彼の手にかみついたのです。
そのまむしに咬まれれば即座に腫れ上がり、倒れて死んでしまうことを島の人々は知っていました。(6節)
人々は咬まれたパウロを見て、「海から救われても、悪いやつはこうして罰を受けるのだ」という見方をしたわけです。
世間が言う「悪いやつ」・・、それは明らかに非情、残酷、無慈悲な者だったりするわけですが、聖書の見方はちょっと違うんですね。
聖書は「神を信じない」ことが一番の大きな罪だと言っているのです。
しかしその大きな罪のために御子キリストは十字架にかかられ、私たちの身代わりの死を遂げられたというのです。
聖書のメッセージは、「一番の悪いやつ」に赦しが与えられているというものなのです。
問われるのは「この神の赦しを受け取ったか受け取らなかったか」であって、それで世の終わりのときの「さばき」から救われるかどうかが決まるのだ、と聖書は言っているのです。
ですから「どんな死に方をするか」・・それは神の救いをいただいた者には、何の関係もないのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)