" そういうわけで、私はあなたがたに会ってお話ししたいと願ったのです。私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです。」"
使徒の働き 28章20節
パウロはローマで早速、ユダヤ人のおもだった人たちを集めて話を始めました。
「イスラエルの望みのため」・・それはどういうことでしょうか。
話はさかのぼりますが、イエス様が公生涯を始められるに先立って、バプテスマのヨハネという人が民に向かって叫んでいました。
" 斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。
私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。" (マタイ3:10-11)
それは聖書の随所に記されているキリスト/メシヤ(救世主)が、今まさに来こようとしているという預言でした。
そしてそれは同時に、イスラエルはもはや「良い実を結ばない木」となって切り倒されようとしているという警告でもあったのです。
実際にAD70年に、エルサレムの神殿は完全に破壊されてしまい、ユダヤ人達は世界中に散っていくのです。
しかし同時に起きたこと・・、それがキリストによる永遠の赦しと救いがイスラエルの民に与えられたということなんですね。
これがパウロの言う「イスラエルの望み」です。
そしてそれはイスラエルだけではなく、現代の全世界の人々の上にも「滅びからの救い」として天から啓示され、世界中で叫ばれているのです。
福音は、終わりの時に与えられた「すべての民の望み」なんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)