
撮影:平田一八
TRIO'ライブ アルバムの音がようやくまとまった。三ヶ月くらいかかったことになるか。普通ならスタジオで限られた時間内で作業をするわけだからそうだらだらとやるわけにはいかない。ところが今回は録音を担当して下さったオノセイゲンさんの協力を得てほぼ一日のスタジオ作業と、あとはセイゲンさんの空いている時間を使って手を加えたファイルを送っていただき、それを確認しさらに新たな提案をしていくというやり方で結局三ヶ月をかけることとなった。前回自分でミックスしたときには奈良のスタジオで髪の毛が抜けるような思いをしながら作り上げ、持ち帰って聴いたらNGでもう一度奈良に行って直しをしたりしたが、今回もある意味で同じようなことの繰り返し。しかもセイゲンさんを巻き込んでそれをやったというわけ。エンジニアの多くは横から何か言おうものなら「まず自分の思うところでやらせてもらいたい」オーラを発するものだが、セイゲンさんは全く違っていた。セイゲンさんが作ったものに対して市原があーだこうだ言う。それに対して何の抵抗もなく、すべてをやり切ってくれる。そうやって煮詰めに煮詰めたところで市原が「やっぱり違うわ」と、いとも簡単に言っちゃったりする。それが一度や二度ではない。言っている市原自身もセイゲンさんがいつ怒り出すかとハラハラしながら作業を進めてきた。そしてとうとう最後の仕上げまでこぎつけた。その間セイゲンさんは乗り手が右へ行けと言えば右へ、全速力で駆け上がれと言えば力を惜しまず駆け上がるさながら名馬のようであった。彼はこのTRIO'のアルバムを本当に評価してくれてアソシエイトプロデューサーとして音は勿論ジャケット制作、デザイナー選びからCDのプレスに至るまで全面的に協力してくれた。こりゃ馬とか言ってちゃいけないね。この出会いを改めて不思議な出会いと驚いている次第。
…と、ここまで書いたが言いたかったことから少し話が逸れた。自分でも偏執狂ではないかと思うほどの音像の微妙な変化に対するこだわり。これは一体何なんだろうと考えると…と、そういう話をしたかったんだ。
今回の作業を経て・・三者のバランス、これこそがその演奏の面白さを決定付ける最重要なファクターであることを今回改めて深く深く確信した。それは三者が等位置にあること。ソリストが魅力的であるのは当然のこととして求められるが、残りの二人も魅力的なことをしていてそれでトリオの演奏が成立する。三者が三者共にいつも面白い。しかも生かし合う面白さ・・それで演奏が成り立っている。これがトリオである。それはソリストを立てる面白さでもある。だからそれらの音が後ろに回ってしまったら面白さは半減、いやそれ以下の内容にあっという間に姿を変えてしまう。この三ヶ月間やってきたことはこの面白さ探しと言える。このバランス設定は誰をメインにとかそんなレベルではなく本当に1/10db以下の微妙な作業だった。だが実際にはそんな聴力テストのような作業をしているのではなく、面白いか面白くないかでの判断であって、たまたまそれが十分の一デシベル以下のレベルの作業だったという話だ。演奏家が実際に演奏するときはそれを瞬時にする。そういう人の能力を一旦ばらして脳みそが判断するレベルの調整を手作業で調整しているようなものなのだから時間がかかって当然なのかも知れない。
…と、要するにこの話はこのライブアルバムがその作業をじっくり施したアルバムなのだという話なのでありまして・・。おあとがよろしいようで。
「TRIO’ LIVE」乞う!ご期待。