" はじめに神が天と地を創造された。"
創世記 1章1節
この創世記1章1節、この一行だけで人生がひっくり返ってしまったという話を聞いたことがあります。
人は「神」ということばを様々な場面で使いますが、決してその神を本当に「神」とは思っていない。ただ神ということばを使っているだけなのです。そしてそのことにさえ気付いていない・・。
人が「神の存在を信じる」というのは、並大抵のことではないのです。
けれどもそれが、この短いことばでひっくり返ってしまったというのです。
それは、この短い一行の中に「神が」ということばがあったからです。
人はいつも「神は」と言って、神を評価しようとします。
ですからそこには当然「絶対」はなく、人の考えによって神観は変わり、それは実に多様なものとして存在しているわけです。
しかし神が本当に「生ける神、創造主なる神」なら、すべては神から発せられているのです。
この聖書のことばも、神からのことばであり、そこから始まって黙示録にいたるすべてが、神が書かせた情報だと、聖書は言っているのです。
聖書のことばは評するものではなくて、受け取るか受け取らないかしかないのです。
"地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。"
(イザヤ書45:22)
これを見出すだけで人の存在とその歩みのすべては、全く新しい、不動の、そして永遠のものへと変えられるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)