" 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"
創世記 1章3~5節
この箇所を読むと、創造の第一目に、神は太陽を造られたのかと思ってしまいます。
しかしこのあとを読んでいけば分かるように、実際に天空に輝く太陽や星が創造されたのは第四日目なんですね。
では「光、あれ。」と言われてできたこの光とは何のことでしょうか。
まだ天地を実際に照らす光の源はなかったのです。
ヨハネの黙示録の最後に出てくる「新天新地」・・、その様子を記していることばの中に次のような箇所があります。
" もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。" (ヨハネの黙示録 22:5)
第一日目に造られた光・・、それは神の存在として表わされた「光」だということになります。
そしてその光を神は「良し」と見られ、その「光」と「闇」が異なる領域のものであることを定められたというわけです。
神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けられたとありますが、このときまだ太陽はないのです。
ですからこの「昼」と「夜」も、太陽による昼と夜というのとは異なる概念で使われていることばであるということになります。
さて、ここで「第一日」ということばが出てきます。
「時間」・・、実はこれも神が創造の初めに造られたものなんですね。
神の存在としての光、また時間、そして空間も、これらはすべて被造物であり、それらは第一日目に造られたものだというわけです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)