" 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。
神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。
夕があり、朝があった。第四日。"
創世記 1章16~19節
第一日目に神はすでに「昼」と「夜」を造られたとあります。(5節)
この昼と夜というのは、光と闇という「概念」の創造。
そして第四日目に、神は私たちが実際に目で見ることのできる「光」を造られたというわけです。
その具体的な記述が、この第四日目の後半です。
最後に出てくる「星」・・、それは、その一つ一つが渦巻き状になって形成されている気の遠くなるようなスケールの銀河、そしてその銀河によって形成される銀河群、さらにそれらが集まる銀河団、さらにその銀河団が集まる超銀河団があるというのです。
そしてそれらの銀河集団が「泡」のような形で存在することによってこの宇宙空間ができあがっているということが、実際の観測によって分かってきているというのです。
しかし地球上で生活する私たちにとっては、この「二つの大きな光る物」の方が身近な存在です。
この大小の二つの物を使って、神は目で見ることができる「昼」と「夜」とを造られたというのです。
さて、私たちが空を見上げたとき、この二つの大きな光る物、すなわち太陽と月は「見えるサイズ」としてはほとんど同じ大きさなんですね。
あるときは皆既日食となり、あるときは金環食となる・・。
ということは、神はこの実際には遥かに違うサイズの二つの大きな光る物を、ほぼ同じ大きさに見える「大きな光る物」として天に置かれたということになります。
天地創造の経緯の、このようなほんのちょっとした記述を見ても、私たちは身震いしそうになりますね。
創造主の御名をほめたたえます。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)