" 神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。
神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。"
創世記 1章24~25節
神は六日目に、いよいよ地上の生き物を造られます。
ここでおもしろいと思うことが二点あります。
まず、獣と区別して「家畜」が出てくるという点です。
家畜とは牛、馬、ろば、羊、やぎ、らくだなど、人間によって飼い慣らされ、使役される動物のことです。
そして二つ目の「地を這うすべてのもの」・・。
すぐに連想できるのは「蛇」ですが、そのような生き物だけを指すのだとすると、ちょっと変な感じがします。
このあとに神は、「人」を造られます。
それで神の創造のみわざは終わるというのですから、「這うもの」とは、家畜や獣以外のすべての小動物、昆虫、さらには地中に生息するすべての生物を指すことばなのではないでしょうか。
神が太陽と月という「ふたつの大きなもの」を造られたとき、そこに付け加えられるような形で「また星も造られた」と、ついでのように書かれています。
しかしそれらは、この地中の生物、さらには細胞から分子原子といった存在と対比するような位置付けで、文字通り計り知れない存在として神が造られたものだという構図が見えてきます。
と同時に、この創造の記述は、人間にとって身近な存在である太陽、月、家畜などが特にクローズアップして書かれいてるという図式も見えてきます。
結局それは何を意味するかということを考えるとき、神はあの気の遠くなるような宇宙空間から細菌にいたるまで、すべてのものを「人のために造られた」という神の意図がここで見えてくるような気がします。
神ははじめに、人が生きるための世界を造られた・・、これが聖書の主張なんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)