" 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」"
創世記 1章26節 前半
この六日間で神がなさったこと・・。
それは最終目的である「人の存在」のための舞台造りだったのだということを前回見ました。
そしてこの26節で、先ず注目したい点は、「われわれのかたち」ということばです。
神が「われわれ」と言っておられる・・。
ということは天地創造の時点で、そこには神が複数いたということになります。
聖書全体を見るならば、そこに「多神教」的なイメージはかけらも見ることは出来ません。
ではこの「われわれ」とはどういう意味なのでしょうか。
聖書が示している「神」の存在のあり方、それは「三位一体(さんみいったい)」です。
父なる神、そして御子なるキリスト、そして神の霊である御霊(みたま)=聖霊です。
父なる神は天地創造の主語として最初に登場します。(1節)
それに続く2節ではさっそく「神の霊」が登場しています。
そしてこの26節にある「われわれ」・・、これこそが父と御子キリストなんですね。
その根拠は、十字架にかかられる前に祈られたイエス様ご自身の祈りのことばにあります。
"父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。" (ヨハネの福音書 17:5)
イエス様ご自身が、「世界が始まる前」すなわち天地創造より以前に父と一緒におられたということを、祈りの中で言われているのです。
人は、神と御子キリストの似姿として造られた・・と、この26節には書いてあるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)