" 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」"
創世記 1章26節前半
前回と同じ箇所です。
われわれ・・それは、父なる神と御子キリストでした。
でもそれは「三位一体」という捉え方における「唯一の神」です。
御子キリスト・・このお方の存在を私たちはどのように捉えたら良いのでしょうか。
旧約聖書にはこの来たるべき方、メシヤであるキリストについて、300箇所以上に及ぶ記述がありますが、同時に旧約の世界の中で、キリストは実際に人との関わりを持つ存在として登場しています。
アダムに実際に語りかけられたのは太字で記されている「主」でした。
暴虐に満ちていたソドムとゴモラを神が滅ぼされようとしたときに、アブラハムに現れた「三人の人」がいます。「そのうちの一人」は太文字の「主」で記されています。それはそのうちの一人が「神」であることを言い表しているものです。(創世記32:24-30)
また、ヤコブが祝福をいただくために格闘した「人」・・、その人についてヤコブは「私は顔と顔を合わせて神を見た」と言っています。(創世記32:24-30)
キリストはこのような形で旧約聖書に登場しているのです。
そして新約聖書において、来るべき方キリストして赤子で生まれ、人の背きの罪のための救いのみわざを完成されたキリスト。
そして今から後、再び来られる「さばき主」としてのキリスト・・。
最後には永遠の御国「天のエルサレム」において父なる神と共に、御国にあって「光」として存在されるキリスト・・。
キリストは父なる神の創造の始めから終わりまでのすべてにおいて、「人と特別な関わりを持たれる神」という存在だということがわかります。
キリスト・・このお方は私たち「人」に対し、神がどれほどに関心を持っておられるのかということを示してくださる「御子なる神」なんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)