" 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。
また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。"
創世記 1章29~31節
宇宙を形成するすべてのものは、絶妙な力のバランスで保たれ、地に生きるすべてのものは産むことによって増え続け、植物も種によって存続し続け、生きるものの食糧となる・・。
こうして神は天地を「存続し続ける世界」として完成されたというわけです。
それは非常に良かった・・。
神はこのあと「第七日目」に、なさっていたすべてのわざをやめられ、この日を祝福し、聖なるものとされたとあります。(2章1〜3節)
いよいよ神の計画の幕開けです。
ここを読むと、黙示録にある「七つの封印」のことを思い起こさせられます。
神の子羊が巻物に封をしている六つの封印によって、この後に起きることの六つのファクターが出そろい、七つ目の封印を解いたとき「天に半時間ばかりの静けさがあった。」(黙示録8:1)
いよいよ終わりの時代の幕開けだというわけです。
そこに出てくる「大艱難時代」は、次々と起こる悲惨な出来事の中で、神に立ち返る無数の人たちが起こされるという世界です。
それはまさに、アダム以来の人類の歴史の凝縮のようです。
神は悲惨な人類の歴史の中で、そこから救い出される人々が起こされる・・それがこれから始まる神の計画の全貌なんですね。
天地創造・・それは「完成」ではなくて、始まりなのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)