" 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。"
創世記 2章15節
アダムはエデンの園を耕すことを神から命じられていました。
アダムは園を守り、それによってその美しい姿が維持されていたわけです。
小さい子どもは何をするのも楽しそうですね。
走っても楽しいし、大人のまねをするのも楽しい。そして大人からすれば異常な集中力で物事を観察します。
これらのことは、神の祝福の中にあって、喜びと平安に満ち、知識はなくとも、神の祝福を謳歌しているその姿なんですね。
アダムの、エデンの園を耕していたその「労働」・・それも子どものように、なんの心配もなく、うれしいうれしいと言いながらしていたのではないでしょうか。
ところがアダムの失敗により、エデンの園を追放されたとき、主はアダムにこう言われました。
「大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。」 (3:17)
アダムはエデンの園で毎日遊んで暮らしていたわけではなく、「耕して」いたのです。
でもそれは神の光と喜びのうちにあっての日々でした。
同じ耕すにしても、苦しんで汗水流して働くのだとしたら、それはまったく別の世界です。
私たちはその別の世界に生きているというのです。
神とともにある歩み・・それは喜びの世界、本当のふるさとにおいての歩みです。
そしてそのふるさとへの切符が与えられた・・これが福音です。
すべての人の罪のために十字架にかかられ、死の力を打ち破ってよみがえられたイエス・キリスト・・この方の存在、それこそがその切符なのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)