" 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」"
創世記 2章16~17節 (前回と同じ箇所です)
神は人がご自分と共におられることの確認のために、ひとつのことをされました。
それは「食べてはならない」という命令に「従うか従わないか」によってそのことを見るというものでした。
結局「その木から取って食べる」ということは、神との関係を自ら損なうということです。
そしてその結果が「死」だというわけです。
それは毒物を摂取したことによって死ぬような死ではなく、「死ぬ人になる」ということです。
現にその実を食べたアダムはそのとき即座に死んだのではなく、930年生きて死にました。
ですから「必ず死ぬ」ということは、「人」は永遠に神と共に生きるものとして造られたのに、この禁断の実を食べるならそこに「死が入る」ということことを意味していたわけです。
さらに、世の始めから終わりまでという神の長期計画という所に視点を移すと、その中間地点で「死の力を打ち破った御子」の登場があるんですね。
それは、死後は無に帰すとか、他のものに生まれ変わるとかいうものではなく、その「死」自体がなきものとされ、今のあなたの名が付けられた「あなた」は、永遠に「あなた」として生きるための扉が開かれたということです。
年老いて死ぬ・・、それはアダムが禁断の実を食べたときから始まりました。
ところがそこに神は、ご自身の栄光を現されるために、この世に「御子イエス・キリスト」を送られ、死の力を打ち破って見せてくださったのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)