" そこで、主は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」"
創世記 6章3節
前回と同じ箇所の後半です。
神は人の齢を百二十年とされました。
しかし、突然人の寿命が120歳になってしまったということではなかったようです。
ノアは950歳まで生きています。
そしてそこから徐々に寿命は短くなり、ノアから10代目のアブラハムは175歳です。
そしてイサク180歳、ヤコブ147歳、、。そしてヤコブの子でエジプトで権力者となったヨセフに至って初めて110歳という、私たちにとっても身近な寿命・・すなわち120歳以下になるんですね。
さて今日は、「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない」という主のことばに注目してみまょう。
ここから分かることは、人が生きているのはそこに神の霊がとどまっているからだということです。
人は神が「いのちの息」を吹き込まれたので「生きる者」となりました。(2:7)
人が生きているのは、そこに神のいのちの息がとどまっているから。
そして人が死ぬのは、そこから神のいのちの息が去って行くから・・。
人は、神によって「生かされている」んですね。
今日はこのことを、改めて心に刻みたいと思うのです。
私たちは神によって「生かされている」のです。
そして私たちの死は、神がその齢を決められた結果なのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)