" 神の子らが人の娘たちのところに入り、彼らに子ができたそのころ、またその後も、ネフィリムが地にいた。彼らは昔からの勇士であり、名のある者たちであった。
主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。"
創世記 6章4~6節
この「神の子ら」については、#732で書いたとおり、アダム以来、信仰を守り続けた細い一本の線としてつながってきた人たち・・という解釈で読み進んでいきたいと思います。
となると、「神の子ら」たちは、信仰とかいうことにはこだわらずに、カインの子孫や、その他増え広がった人々の中から、とにかく美しい「人の娘」を選んだ・・という捉え方になっていきます。
そしてこれがネフィリムの話につがっているわけです。
・・そのころも以前も、その世の中は「勇士であり、名のある者たち」すなわちネフィリムによる「力によって支配される世界」だった・・と。
そしてその結果、地上に人の悪が増大し、人々の心に図ることがみな、いつも悪に傾くようになったというのです。
信仰を守るという細い一本の線は保たれながらも、世の中には悪が増大し、手の付けられない状態になった・・それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められたというのです。(6節)
神の当初の創造のコンセプト・・それは「悪のない世界」だったんですね。
「リバイバル」ロイドジョンズ著/21章には、こんなことばがあります。
・・キリストの再臨、それはこの地上で野放しになっている悪が、わずかな痕跡も残されずに破壊される時なのです。・・
神は「悪のない世界」を今も目指しておられるんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)