" そして主は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」
しかし、ノアは主の心にかなっていた。"
創世記 6章7~8節
結局世の中には悪が増大し、「人の心がみな、いつも悪に傾く」、そんな世界になってしまい(5節)、主は地上から人を消し去ることにされたというのです。
地上における人の悪が、いかに根深くいやしがたいものであったかということが想像されます。
しかし神はこれですべてをぶち壊して、「この世」を終わりにされようとしたわけではありませんでした。
アダムから始まりノアの時代までは1500年ほどありますから、当時の人口は想像が付かないほどに膨れ上がっていたはずです。
その中にたった一人、「主の心にかなっていた人」がいたというのです。
そして主は、この人を用いて「次の世」を作られる計画をされたというわけです。
主はノアの何に注目されたのでしょうか。
それは「主の心にかなっているかどうか」でした。
その根本姿勢はなんでしょうか。
それは「神を神として認める」ということです。
神として認めるということは、神の存在をはっきり認めるということであり、その神を「困った時の神頼み」というような神ではない、絶対者なるお方として認識するということです。
信仰とはそれだけなのです。
今の私たちの心の内についても、神である主はそのことを最大の関心事として見ておられるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)