" アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。"
創世記 24章52節
リベカをイサクの妻として迎えることについて、リベカの兄と父がそれを承諾した・・そのときのことです。
このしもべは「彼らのことばを聞くやいなや」、リベカとその家族が見ている前で、地にひれ伏して主を礼拝しました。
しもべが祈りの中で願ったことに対して、神は寸分の違いもなく応えてくださったのですから、それはもう感動をもって、躍り上がらんばかりに主を喜び、主に栄光を帰し、主を礼拝したのは当然と言えば当然のことです。
そしてその姿は「地にひれ伏して」であったというのです。
しもべはこの時、主人アブラハムの神である主が、このようにして生きて働かれるまことの神であることを、改めて目(ま)の当たりにしたわけです。
地にひれ伏す・・それは、完全なる神と、ただ神の恵みによって生かされている者との関係を表わしています。
私たちクリスチャンは「この神と共に」歩む者とされているんですね。
それは、受けるに相応(ふさわ)しくないような自分の上にある、全能者のあわれみと愛の中に、私たちは日々刻々と生かされているということです。
私たちが何気ない日常生活の中で、この大黒柱とも言うべき主を忘れているのだとしたら、それは荒海の中で小さなボートを必死でこぐ者のように、少しの波にも翻弄(ほんろう)される者となってしまいます。
日常的に主の前にひれ伏す者となる・・、これは信仰生活の要(かなめ)なのかも知れませんね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)