" 彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど私たちのもとにとどまらせて、その後で行かせるようにしたいのですが」と言った。
しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。主人のところへ行けるように、私を帰らせてください」と言った。"
創世記 24章55~56節
リベカの兄と母は別れを惜しんで、十日ほど待ってほしいと願いました。
突然ある人が現れて、娘をその人に嫁として託すわけですから。しかもその翌日にです。
家族でしたらそれは当然のことのように思われます。
それに対してこのしもべは、主が私の旅を成功させてくださったのですからという理由で、「今すぐに行かせてください」と答えたというのです。
しかしこのしもべとて、家族の気持ちが分からないでもなかったはずです。
結局家族はリベカ本人にその意思を確かめ、すぐに送り出すことにするのですが (57-58節)、家族も、リベカも、そしてこのしもべも、この時の皆の心情は、神のご意志と「情」との板挟みだったのではないでしょうか。
私もこれを読んで、十日でなくともせめて三日くらいは・・と思ってしまいます。しかしこのしもべはきっぱりと、すぐに行かせてくださいと願いました。
すぐにみことばに従うべきか・・その判断を「情」によって迷い、実行を遅らせてしまうことって、しばしばあるのではないでしょうか。
しかし彼らは皆、人間的には「そのくらいいいじゃないか」という思いを「神にささげた」のです。
もし日常生活の中で、私たちがこのことを思い起こすことがあったら・・、祈らなければなりませんね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)