" アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。"
創世記 25章8節
アブラハムの生涯は神に導かれた生涯でした。
行く先に何があるかも分からずに、ただ主のみことばに従って生まれ故郷を出て、カナンの地に来ました。
そこで神は七度に渡って祝福の宣言をアブラハムにされたのです。
1.特別な民としての祝福、(12:1-3) #757
2.約束の地を与える祝福、(12:7) #759
3.永久に与えるカナンの地の約束、(13:15-16) #762
4.選びの民としての祝福、(15:5-6) #769
5.主ご自身から現された約束のしるし、(15:17) #775
6.永遠の王国確立の約束、(17:6-7) #780-782,784
7.キリスト誕生の約束、(22:16-17) #823
そしてアブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、175歳でその生涯を閉じました。(25:6)
この特別な神の選びの器アブラハム・・、それは私たちの目から見たら、特別中の特別な存在です。
しかし私たちクリスチャンは実に、このアブラハム同様、神に直接招かれ、そして永遠のいのちと天の御国の民としての約束をいただいている者なんですね。
年老いて満ち足り・・、
世の中の感覚では、年老いたら身体の機能は衰えて行き、もうこれで『おしまい』となります。
しかし私たちはこのアブラハム同様、年老いて『満ち足りる』者・・。
それは、ますます希望が増し加わって最期(さいご)を迎える者とされている・・。
私たちは実に、その恵みに与(あずか)る者とされているのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)