" エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を食べさせてくれ。疲れきっているのだ。」それで、彼の名はエドムと呼ばれた。
するとヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言った。"
創世記 25章30~31節
リベカがイサクに生んだ双子、エサウとヤコブは成長し、エサウは得意の狩りをする人になり、一方ヤコブは活動的な人ではなく、家の仕事をしていたようです。
ある日、エサウが狩りから疲れ切って帰ってきたとき、ヤコブはちょうどおいしそうな煮物を作っていました。
エサウはどうかそれを食べさせてくれと、ヤコブに懇願します。
普通に考えれば、さあさあお疲れ様でした、どうぞ食べてくださいと言うのが筋です。
しかしヤコブはなんと、「今すぐ私に長子の権利を売ってください」と言ったというのです。
一杯の煮物を餌にして、兄の長子の権利を奪おうとしたのです。
エサウは家族のために狩りをして帰ってきたのに・・です。
前回「神は、人のいかにも人間くさい弱さをそのまま用いて、最後には弟のヤコブを、神の民イスラエルの始祖とされた」と書きました。
その「人間くさい弱さ」・・、そこには悪辣(あくらつ)さもあるんですね。
あなたはこのヤコブを責めますか。
聖書はすべての人は罪人であると断言し、さらに「すべて他人をさばく者よ・・さばくあなたは同じ事をしている (ローマ2-1)」 と、私たちすべての者の罪深さの実態を鋭く指摘しています。
もしあなたがこのヤコブを見るとき、ヤコブを責めるのではなく、自分の内にある同じような悪辣さを見る機会となるならば、それはこの上なく幸いなときになるに違いありません。
なぜなら、イエス・キリストは、私たちの罪のために死なれた・・、それが改めて分かるときになるからです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)