" イサクは、その子に言った。「どうして、こんなに早く見つけることができたのかね、わが子よ。」彼は答えた。「あなたの神、主が私のために、取り計らってくださったのです。」"
創世記 27章20節
ヤコブは母リベカと共に、父イサクをだます計画を実行するために父のところに行ったとき、「おまえはだれかね」と尋ねる父に嘘をついて言いました。
「長男のエサウです。私はお父さんが言われたとおりにしました。どうぞ、起きて座り、私の獲物を召し上がってください。そうして、自ら私を祝福してください」と。(18-19節)
そしてそのあとが、今日の箇所です。
あなたの神、主が私のために、取り計らってくださったのです・・。
このことばはヤコブにとっては父をだますためのことばに過ぎません。
しかし同時にそのことばは、主の計画から見ると、確かにその通りだとも言えます。
ヤコブの嘘と、神の計画の真実とが重なっているのです。
それは言ってみれば「預言的な」ことばでした。
しかし私たちから見れば、「よくこんな嘘をつけたものだ」の一言に尽きます。
ヤコブにとってそれは、あくまでも保身のための嘘にすぎません。
聖書には、神の目から見て人として相応(ふさわ)しくない行いをしてしまう人物が、これでもかというほど出てきます。
神の計画の中にあって、人はあくまでも「罪人、弱い者」なんですね。
そしてその上に、神のあわれみと愛があるというのです。
これがあくまでも聖書のメッセージの基本なのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)