"「諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」"
創世記 27章29節
イサクは自分のところに来たのがエサウだと思い込んで、弟のヤコブを祝福してしまった・・、それが今日の箇所です。
ところで、この二人の子がまだリベカのおなかの中にいるとき、主はリベカに「兄が弟に仕える。」とはっきりと宣言されたことを覚えておられるでしょうか。(25:23)
この時すでに、主は弟ヤコブの方を祝福することに決めておられたんですね。
リベカは、このことを夫イサクに話していたに違いありません。
イサクは、このことをすでに知っていたはずなのです。
しかしイサクがそれを知っていて、敢えて主に逆らったとは考えにくいです。
おそらく長男を祝福するというのは、イサクにとって至極当然のことで、そのことに何の疑問もなくそれをしようとしたのではないでしょうか。
しかし主はそんなイサクを用いて、弟の方を祝福するというそのご計画を遂行(すいこう)されたというわけです。
仮に主がリベカに語られたことをイサクが覚えていたとしても、長男の前で弟のヤコブを祝福することなど、イサクにはとてもできなかったかも知れません。
ところがイサクは思いの限り、ヤコブの方を祝福したのです。
この出来事は神である主が、イサクが自信をもってヤコブを祝福することができるようにするためのものであった・・という見方もできるわけです。
主は弱い私たちを用いて、そのご計画を確実に進めて行かれるお方のようです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)