" 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」"
創世記 28章15節
ヤコブは伯父ラバンのいるハランに向かって旅立ちました。
その途中の一夜の出来事・・。
ヤコブは夢を見ます。それは天に届くはしごが地に立てられていて、神の使いたちがそのはしごを上り下りしていた・・というものでした。
そこで主のことばがヤコブに臨みます。
それはアブラハムとイサクの上に与えられた祝福の約束とまったく同じものでした。
さらに・・、あなたがどこへ行ってもあなたを守り、この地に連れ帰り、約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない・・と、これは「もったいなすぎる」ような、ヤコブにとってはおよそ分(ぶん)不相応と思われるような祝福です。
しかし主は、初めからヤコブを選ばれていたんですね。
主に選ばれる人の基準って、何なのでしょうか。
少なくとも「資質」の問題ではなさそうです。
ただヤコブはエサウのように他の神々には近づこうとしなかった、ただそれだけです。
よく考えれば、それは私たちの救いとまったく同じだということに気がつきます。
主は受ける資質など全くないような者を招かれ、その人がただ主イエス・キリストに目を向け、信じたというだけで永遠のいのちを与えて下さるお方なのです。
主の祝福は100%の「恵み=受け取るだけ」であり、「あわれみ」なんですね。
これまでのヤコブとエサウにまつわる一連の出来事は、そのことをこれでもかというほど私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)