" その夜をそこで過ごしてから、ヤコブは自分が手に入れたものの中から、兄エサウへの贈り物にするものを選び出した。"
創世記 32章13節
ヤコブは兄エサウへの和解のことばを託し、使いを送るのですが、エサウが四百人を引き連れてやってくると聞いて、非常に恐れます。
そして祈ったのが、前回の祈りです。
その祈りは「あなたはこう言われたではありませんか」という祈りでした。
そしてそのあと、ヤコブはその神の約束を根拠に、早速行動に出るのです。
ヤコブは、やぎ、羊、らくだ、牛、ろば・・合わせて550頭を選び出し、その群れを三つに分けて、しもべたちに先を行かせるように命じます。
三組はそれぞれ距離を置き、それぞれに「これはしもべヤコブからの贈り物です。ヤコブは後方におります」と言わせます。
エサウが三回も同じ光景を見れば、少しは心変わりがするかも知れないと思ったわけです。
そして、最後に二人の妻と女奴隷、そして十一人の子たちに、ヤボク川を渡って行かせ、ヤコブは一人残ります。(14-23節)
ヤコブは恐れのあまり、こんなことをしたわけです。
主の約束のことばに従うなら、それがどんなに拙(つたな)い行動であっても、とにかくやればよいのだということを、ここでは教えてくれているようです。
しかし、ヤコブはこのあと一人で神と向き合い、神との徹底的な時間を過ごしています。それがこのあとの24節以降の話です。
信仰による行動と、神との交わり・・
この両輪によって、その行動がどんなに拙いものであっても、その信仰生活は実を実らせていくんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)