" すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」"
創世記 32章26節
ヤコブは家畜としもべ、そして家族と全財産を先に送り出し、自分は一人残りました。
その時「ある人が夜明けまで彼と格闘した」とあります。(24節)
「その人はヤコブに勝てないのを見て取って、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。」というのです。(25節)
そのときにその人が言ったのが今日の箇所です。
その格闘は「夜が明けるまで」続き、ヤコブはその人から祝福をもらうまでは、絶対にその人を放しませんでした。
そしてそれに続くのが以下の27.28節です。
"その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」"
この人は、神であり、また人である、と自ら言っています。
ならばそれは、紛れもなく人としてこられたキリストに他なりません。
結局ヤコブは、神と夜を徹して格闘したのです。
それは私たちの信仰生活になぞらえるならば、夜を徹しての祈りです。
神は、ヤコブの「勝ち」を認め、ヤコブの名を「イスラエル」と改めました。
ヤコブという名の意味は「押しのける者」で、実際にヤコブは長子の権利を兄から横取りするような者でした。
そんな者が神と格闘し、イスラエルという、神の民としての祝福の名をいただいたのです。
どんな者であろうと、とにかく神に向き合い格闘する者かどうか・・、ここがどうもキモの部分のようです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)