" 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。"
創世記 32章31節
ヤコブが「祝福をいただくまで、あなたを去らせません」と、一晩中神と格闘した結果、ヤコブはイスラエルという名に変えられ、神の民の父となる約束をいただきます。
この時主はヤコブに、「あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ」と言われました。(28節)
ヤコブは格闘に勝ったのでしょうか。
ヤコブはすでにこの格闘の中で、ももの関節を打たれ、それは外れて普通には歩けないような状態になっています。(25節)
勝った・・、それはヤコブのいのちをかけた祈りに神が応(こた)えられた、ということなのではないでしょうか。
夜が明けてから、ヤコブは先に送り出した家族のところに向かうのですが、彼は足を引きずっていました。それが今日の箇所です。
これから、自分を憎んでいるであろう兄のエサウに会うというのに、ヤコブは戦うことも何もできない状態になっていたのです。
私たちが本当に大切なことに臨まなければならないとき、神は私たちをまったく無力な者とされることがあるようです。
でもこれは実は、神がなさるいつものパターンなんですね。
なぜそのようなことをなさるのでしょうか。
それはひと言で言えば、神がなされたとしか言いようのない結果となるためです。
そのために、自分の能力や知識は必要ないのです。
求められているのはただ、主は私に良きことをしてくださる方だという「信仰」なのではないでしょうか。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)