" ヤコブは自ら彼らの先に立って進んだ。彼は兄に近づくまで、七回地にひれ伏した。"
創世記 33章3節
ヤコブは足を引きずる状態で、いよいよ兄エサウに会うことになります。
一方エサウは、四百人の人を従えてこちらに向かってきます。
そこでヤコブは、自分の家族を四つに分け、二人の女奴隷とその子たち、そしてレアとその子たち、そして一番大切な存在であるラケルとその子ヨセフを最後に残して並ばせ、自分はその先頭に立ちました。(1-2節)
長子の権利を奪い取り、恨みを買い、逃亡したヤコブ・・。
そのヤコブは、夜を徹して神と格闘し(祈り)、その結果、自分を守る力は奪い取られ、自分を憎んでいるであろうはずの兄の前に、自分を弁護しようとはせず、ただただ低い姿勢を取る者へと変えられていたようです。
そして、先には使者を使わして、自分は一番後ろに残るような者でしたが、今や家族の先頭に立って、ヤコブは兄の前にひれ伏す者になっていたのです。
" エサウは迎えに走ってきて、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。" (4節)
結局この和解は、夜を徹しての祈りの結果、ヤコブは兄の前にひれ伏す心が与えられたと同時に、兄の前に出る勇気も与えられて実現したというわけです。
心が砕かれるなら、人の前にへりくだると同時に、人を恐れることもなくなるんですね。
主の前にひれ伏すとき、私たちは人を愛する心と、人の前に出ていく心が与えられるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)