" 彼らは、手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪をヤコブに渡した。ヤコブはそれらを、シェケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
彼らが旅立つと、神からの恐怖が周りの町々に下ったので、だれもヤコブの息子たちの後を追わなかった。"
創世記 35章4~5節
ヤコブの娘ディナの出来事があって後、神である主はヤコブに現れて、「立って、ベテルに上り、そこに住み、祭壇を築きなさい。」と言われました。(1節)
このベテルは、ヤコブが兄から逃れる旅に出たとき、神の使いがはしごを上り下りしている幻を見た、その場所です。
娘ディナの出来事で近隣住民との関係が悪くなったときに、主はヤコブに、このあとどうすれば良いかをはっきりと示されたわけです。
この時ヤコブが家族に命じたこと・・それは、「あなた方の中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。」でした。
この時すでに、ヤコブの家族の中にも異国の神々の影響が入り込んでいたんですね。
現に妻のラケルは、父が礼拝していたテラフィム(像)を盗みだし、それを大事に持っていたのです。
ヤコブはその全てを、今まで住んでいたシェケムの樫の木の下に埋めました。
そして旅に出たとき、それは神の圧倒的な臨在と守りの中での出発となったのです。それが今日の箇所です。
二回前のタイトルは「新しい出発」でした。
しかしヤコブはその新しい出発をした途端に、娘ディナの出来事という大変なトラブルに巻き込まれます。
そして、その後に、ヤコブとその家族が「偶像を捨てた」とき、それは生ける神の守りの中を歩むという、真の新しい出発となったんですね。
偶像や耳輪・・それは心の中を指すもの、すなわち「まことの神を信じないあらゆる事柄」を指しており、もし私たちもそれらをすべて捨て去り、新しい旅路への出発をするなら、そこには神の奇跡を見ながら歩むという、ダイナミックな歩みが待っているのだということを、ここでは教えてくれているのではないでしょうか。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)