" 民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」"
ルカの福音書 23章35節
今日はイースター(復活祭)の前々日、イエス様が十字架にかかられた日に当たります。
十字架にかけられたのは午前9時。
それから三時間後、天は新しい時代に入るその区切りとして、全地を暗黒で包みました。
そしてそれまで神がご自身を現される場所であった神殿は、その聖所の幕が真っ二つに裂けることで、その役割の終わりを自ら告げます。(45節)
そしてイエス様は「完了した」と言われ、息を引き取られたのです。(ヨハネの福音書19:30)
神の子なる神イエス・キリストは、人の子として来られたというその役割においてはすべて完了し、あとは天の父の御手にゆだねられたのです。
そして父はこの方をよみがえらせ、イエス様は弟子たちにご自身を現されました。
イエス・キリストは十字架にかかられて死に、そして三日目によみがえる・・実にそのことのために、赤子として生まれ、この世に来られたのです。
しかし人々はイエス様の十字架の姿を見て、キリストなら自分のいのちくらい救えるだろうに・・程度のことしか考えることはできませんでした。
しかし、神は人の思いを遥かに高く超えたところで、次のことを実現されたのです。
それは、すべての人の罪のために父に向かって献げられたあがないの供えものとしての、御子キリストの十字架による死。
そして、よみがえられることによって、人々の内に永遠にいのちとして生きるその存在。
人はこの方イエス・キリストを信じて心に迎えることによって、完全なる罪の赦しと、永遠のいのちを賜るのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)