" ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。"
創世記 37章4節
ヨセフは兄たち、特に女奴隷が生んだ子たちを見下げ、彼らのことを悪し様に父に「チクって」いたような若者でした。
そんなヨセフを父ヤコブは溺愛し、彼だけを特別に扱っていました。
それは「彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。」という3節のことばからも分かります。
これだけでも、兄たちの嫉妬と憎しみを受ける条件としては十分です。
ヨセフは可愛がられていた方の立場ですから、兄たちからの逆風はそれほどには感じていなかったかも知れません。
自覚がなくて、気がついたら嫌われていた・・。
なんとなく、自分自身や、周りに起きることで、そういうことってあるような気がしませんか。
夫婦を始め、兄弟、親子、親戚、そして友達関係と、必ずこのような問題を見たり聞いたり、あるいは自分自身の問題として苦しんだりすることがあるわけです。
人間の弱さや罪深さ、あるいは狡猾さや、もっと行くと底意地の悪さ・・。
それらは、もともと人の中にある罪人の性質だと聖書は言っています。
そしてこのような人との関係の傷や苦み、怒りなどは、自分ではどうすることもできず、持て余してしまうのが私たちです。
クリスチャンであったとしても、そのようなことはいくらでもあります。
しかしクリスチャンの場合は、その解決を実はいただいているんですね。
それがあのイエス・キリストの十字架です。
私たちは、憎しみ、怒り、そして恐れ・・それらすべてを、自分の内に形作られた十字架の上に負ってしまうなら、そこに復活と新しいいのちを見るのです。
" まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。"
ヨハネの福音書 12章24節
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)