" あのミディアン人たちは、エジプトでファラオの廷臣、侍従長ポティファルにヨセフを売った。"
創世記 37章36節
ヨセフを奴隷として買い上げてエジプトまで連れて行ったミディアン人は、彼をファラオの廷臣、侍従長ポティファルに売り渡します。
ヨセフは兄たちの仕打ちに、その心は打ちひしがれていたことでしょう。
しかも「空気を読まないヨセフ」でしたから最初は寝耳に水・・。
その内にだんだんと事情が分かってくる・・。
兄たちは自分を憎んでいたんだ・・。
自分がいることは望まれていなかったんだ・・。
でも自分は兄たちを憎んでいたわけではなかったのに・・。
そしてヨセフは、じわじわと自分の心の奥深くにナイフが刺さっていくのを感じていたに違いありません。
エジプトに着いたころ、ヨセフは死んだも同様の人になっていったことは、想像に難(かた)くありません。
しかしその後、主はヨセフを祝福し、間もなく彼は主人に信頼される最も高い地位に置かれるまでになるのですが、ここでもまた落とし穴がやってきます。
それでヨセフは今度は牢獄の人となり、さらに何もできない状況に置かれるのです。(39章)
これが主の訓練だとするならば(前回参照)、ヨセフの上にある主のご計画は、はよほど大きなものであるに違いありません。
しかしそのためには、自己中心で空気を読むことさえ知らなかったヨセフは、一旦完全に自分というものに死んでしまう必要があったようです。
" まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。" (ヨハネの福音書 12:24)
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)