" しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。"
創世記 39章21~23節
ヨセフは監獄に入れられるのですが、そこでも主はともにいてくださって、ヨセフを祝福されました。
それは投獄される前の主人の家での出来事と全く同じです。
そしてそれは、このあとにエジプトの王と出会うときにも同じことが起きるのです。
実にヨセフは、このまったく異なる三つの場所で、すべてを任される人となったのです。
実はクリスチャンというのは、このような旧約聖書に登場する特別な人たちと同じ待遇をいただく者なんですね。
私たちが信じたイエス様というお方は、世の終わりまでいつもでもあなた方とともにいると言われるお方です。(マタイ28:20)
この方は、私たちがどのような境遇に置かれても、そこにともにいてくださるというのです。
富めるときにも貧しいときにも・・。
健やかなときにも病んでいるときにも・・。
ならば、主イエス様にいつも手を伸ばし、主を見上げて過ごそうではありませんか。
主はあなたを決して見放さず、見捨てないお方なのです。(申命記31;6)
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)