" 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」 ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」"
創世記 40章8節
ヨセフは無実の罪で投獄されましたが、そこでも主はヨセフを祝福され、ヨセフは監獄で行われるすべてのことの管理を任されます。(39:21-23)
そんなときに、エジプト王ファラオの献酌官と料理官長がファラオを怒らせ、二人が投獄されてしまうという出来事が起きます。
そしてなんと王の侍従長は、同じ牢にいたヨセフを、この二人の付き人にしたのです。(1-4節)
ところがある晩、この二人がそれぞれ不思議な夢を見ます。
二人の顔色が優れないのでヨセフはどうしたのですかと尋ねます。(5-7節)
そのときの二人の答えが、今日の箇所です。
解き明かしは、神のなさることではありませんか・・。
神はヨセフがまだ若い時に、夢をもってまぼろしを示されています。
兄たちを示す畑の束(たば)が、自分の束を伏し拝んでいたとか、父母と十一人の兄弟を表わす星が、ヨセフを伏し拝んでいたとか・・。
それは神から与えられたまぼろしには違いありませんが、それを臆面もなく家族に話したことでヨセフは兄たちから恨まれ、エジプトに売り飛ばされてしまうのです。(37:7-10)
ところが今度は「夢を解き明かす」という賜物を用いることで、一介(いっかい)の奴隷がファラオの前に立つという奇跡が起きるのです。
結局ヨセフに与えられた神からの賜物を本当に発揮するのは、兄たちに奴隷として売り飛ばされるという悲しい出来事を通して、徹底的に心を低くされた、そのあとだったのです。
"主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。" (詩篇34:18)
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)