" それから二年後、ファラオは夢を見た。彼はナイル川のほとりに立っていた。"
創世記 41章1節
ヨセフの夢の解き明かしが本当にその通りであったことを見た献酌官は、ヨセフから「私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。」と言われていたにもかかわらず、すっかりそのことを忘れてしまいました。(40:23)
ヨセフは毎日神に祈っていたに違いありません。
ところが二年間、何の音沙汰もなかったのです。
しかもそこは牢獄の中でした。
" (主は)あなたの父祖たちが知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするためだったのである。" (申命記 8:16)
これはイスラエルの民が荒野に導かれて過ごした40年間のことです。
荒野の40年・・それは苦しみの中で信仰が試されるという、気が遠くなるような年月でした。
その中で、エジプトを出て、しかも約束の地に入ることができたのは、ヨシュアとカレブという二人のだけでした。
神はこの二人の信仰を見て、それを実現させてくださったのです。
この二人が、カナンの地を偵察して怖じ気づいている同胞に言い放ったことばが、民数記 14:7-9 に記されています。
それは、主は必ず良い地を与えられるということ。ただしその歩みの中で主に背くことのないようにするべきこと。
すでにこの地は自分たちに与えられている・・。だから恐れてはならない・・、というものでした。
たとえその時間が長くても、約束を信じ、主から離れず、恐れることなく信仰の道を大胆に進め・・、というのです。
たとえ現状が絶望的でも、主は必ず「ついにはあなたを幸せにする」というのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)