" ファラオは人を遣わして、ヨセフを呼び寄せた。人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。ヨセフはひげを剃り、着替えをして、ファラオの前に出た。"
創世記 41章14節
エジプトの王ファラオはある夢を見ます。
それは余りに明確で、しかも意味が分からない夢でした。
その夢で目を覚ましたファラオは、再び眠ると、また別の夢を見ますが、それも同様に明確で、しかも意味の不明な夢でした。
ファラオは心が騒ぎ、国中の呪法師や知恵ある者を呼び集め、その話を聞かせるのですが、誰もその夢の意味を解き明かすことができませんでした。(2-8節)
その時あの献酌官が、二年前にヨセフが夢の解き明かしをしたことを思い出すのです。
それでヨセフは、王の前に出ることになった・・それが今日の箇所です。
ヨセフの心はどれほど躍ったことでしょうか。
しかし王の夢の解き明かしをするために、ヨセフにとって大切なことは、神に目をとめているということでした。
でなければ、解き明かしなどはできませんから・・。
私たちも神の時が及んで、やっと扉が開かれることがあります。
そんなとき、私たちは心から喜び、新しい歩みの中を夢中で走り始めるのですが、うっかりすると、神がこの扉を開かれたのだということを忘れてしまうことが往々にしてあるんですね。
私たちは、苦しい時にはひたすら神を求めますが、うまくいくとあとは自分でやりたくなってしまうんです。
" あなたが食べて満ち足り、立派な家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れが増え、銀や金が増し、あなたの所有物がみな豊かになって、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように。" (申命記 8:12-14)
私たちは、どのような時にも、心を尽くして主を覚え、主に信頼して歩むという、その姿勢を忘れてはいけないのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)