" エジプトの王ファラオに仕えるようになったとき、ヨセフは三十歳であった。ヨセフはファラオのもとから出発して、エジプト全土を巡った。"
創世記 41章46節
ファラオはヨセフに全幅(ぜんぷく)の信頼を置き、ヨセフに「私はファラオだ。しかし、おまえの許しなくしては、エジプトの国中で、だれも何もすることができない。」と言ったのでした。(44節)
それはヨセフが自らの判断で、エジプトを支配できることを意味します。
神はエジプトの将来について、ファラオとヨセフに、七年の豊作と七年の飢饉のことをはっきりと示されていたわけですから、ヨセフにとって第一にするべきことは明確でした。
それで、ヨセフはファラオのもとから出発して、エジプト全土を巡った・・。
クリスチャンが「なすべきこと」について、力強く進むことができるのは、そこに神の約束と、将来についての幻が与えられているからなんですね。
神は聖書を通して全世界の人々(クリスチャン)に、世の終わりについての幻をはっきり与えておられます。
さばきが近い、麦と毒麦がふるい分けられるそのときが迫っている・・。
ですからクリスチャンは、そのことに基づいて行動するのです。
しかも、"あなたがたは選ばれた種族、王である祭司 " とあります。(1ペテロ2:9)
私たちもヨセフのごとく、ただ主に与えられたまぼろしのゆえに、主の務めを思いっきり果たすべく、王に等しい権威を持った者として出て行く者とされているのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)