" 王権はユダを離れず、王笏(おうしゃく)はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。"
創世記 49章10節
ヤコブは自分の日が短いことを知り、息子たちを呼び寄せて言います。
「私は、終わりの日におまえたちに起こることを告げよう。」(1節)
このあとに語られるヤコブの言葉を見ると、この「終わりの日」とは、イスラエルの十二部族がカナンの地に戻り、それぞれ割り当ての地に住むそのときのことであることがわかります。
ヤコブは十二人の兄弟たちの子孫について、預言であり、また祝福とのろいとも取れるようなことを息子たちに告げています。
それらはこの息子たちそれぞれがしてきたことが、そのまま後の子孫の部族に反映されというような内容で、しかもそれがほぼその通りになっているのです。
ですが、その中でユダに対する言葉だけは、その領域を遙かに超えていました。
今日の箇所はその、その言葉の一部です。
王権はユダを離れず・・。
イスラエルは後に王国となりますが、その家系は、一代目のサウルは別として、ダビデ王以来、ユダ部族の流れはイエスキリストの誕生までつながっていくんですね。
そして、ついには彼がシロに来て・・、と続きますが、この部分、新解約聖書の第三版では「ついにはシロが来て」となっています。
シロ・・それはメシヤを意味する言葉だとされています。
どちらにしても、ヤコブはここでメシヤ預言をしているんですね。
ユダからダビデ王が出て、その家系が続き、ついには王の王と呼ばれるイエス・キリストに至るというわけです。
そして、諸国の民は彼に従う・・、その「彼」とは、シロすなわちイエス・キリストであり、諸国の民がイエス・キリストに従がうというのは、究極的には終わりの時に至って実現する天の御国においてのこと以外にはないのです。
結局神はヤコブに、この民族がカナンの地に帰るそのときのこと、そしてユダ族から王が出ること、さらにその家系から出るメシヤによって全地の民族が神のもとに帰る・・、そのすべてのことを示しておられたんですね。
このヤコブと同じように、実に私たちにも聖書によって、神の計画の全貌がはっきり示されているのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)