" しかし、彼の弓はいつも固く張られ、彼の腕はすばやい。ヤコブの力強き方の手から、そこから、イスラエルの岩である牧者が出る。"
創世記 49章24節
ヤコブによる息子たちへの言葉・・、前回はユダへの言葉を見ましたが、今度はユダに次いで大きな祝福の言葉が与えられたヨセフについて見てみたいと思います。
ヤコブの息子たちへの言葉は、「彼らを祝福したとき、それぞれにふさわしい祝福を与えたのであった。」とあります。(28節)
それぞれにふさわしい祝福とは、それまでの息子たち一人一人の行いに応じた祝福ということになります。
例えば、長男であったルベンは父の側女、すなわちヤコブが最も愛したラケルの女奴隷と通じたということで、「おまえはほかの者にまさることはない」と、最も低い者とされてしまうんですね。そしてその長子の権利は、結局ヨセフのものとなるという、ここでも逆転劇が起きるのです。
さて、今日の箇所のヨセフの祝福の最初の言葉の中に、「そこから、イスラエルの岩である牧者が出る」ということばがあります。
旧約聖書に於いてこのような言葉があるならば、それはほぼメシヤ預言、すなわちキリストについてのことであるわけですが、ヨセフ族の子孫から、メシヤは出て来ません。
ではこれは何のことかと考えるならば、ヨセフの二人の子のうち、すなわちここでも長子の権利が逆転することによって祝福を得た弟のエフライム(48:13-19)・・、その子孫に「イスラエルの岩である牧者」という名にふさわしい二人の人物がいるんですね。
それは、イスラエルの民をモーセから引き継いでカナンの地に導き入れたヨシュア。そして、イスラエルが王国として確立するときに、二人の王、サウルとダビデを導いた預言者サムエル・・。
このようにしてヤコブが息子たちに与えた言葉をみるとき、そこから900年後、さらに現代、そして終わりの時までのことがとても現実味を帯びていることが見えてくるわけです。(前回参照)
では今日の箇所から、私たちは何を学び取ることができるでしょうか。
それは、今のことは「永遠」へとつながっているということなのではないでしょうか。
私たちは、自分がしたことの実を「終わりの時」に確実に刈り取ることになると定められています。
しかしそれを越えた赦しと永遠のいのちであるイエス・キリストを私たちが信じたということの結果も、私たちに約束されているんですね。
今と永遠はつながっているのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)